中島みゆき「Why & No」に見る抵抗の精神2017-02-11

2017-02-11 當山日出夫

中島みゆきが昨年(2016)に出した二枚のアルバム。

中島みゆき・21世紀ベストセレクション『前途』

中島みゆき Concert 「一会」 2015~2016 - LIVE SELECTION -

たしか同時期に発売であったと記憶する。同じときの発売だから、選曲にはそれなりの工夫があるはずである。入っている曲をみてみると、基本的には重複しない。ライブアルバムの方は、これまでに出したライブアルバムとも重複は避けているようだ。

ところが、二曲、この二枚のアルバムに共通して入っている曲がある。

「麦の唄」と「Why & No」である。

このうち、「麦の唄」は、近年の中島みゆきの代表作といってもいいだろう。NHKの朝ドラ「マッサン」の主題歌である。その年の紅白で、歌っていたのを見た(録画であるが)。だから、この曲が重複してはいっていることは、それなりに理解できる。

が、もう一つの曲「Why & No」である。なぜ、この曲が、ベスト版と、ライブ版と、両方に入れてあるのか……私なりに感じたところを述べてみたいと思う。それは、中島みゆきの、現代という時代における「抵抗の精神」である、と。

「Why & No」は、この世の理不尽を黙ってやりすごすことができない気持ちを歌っている。

http://j-lyric.net/artist/a000701/l0384d3.html

歌詞の一部を引用してみると、

「もしかして世の中が正しいものかもしれないなんて
”正しい他人”なんて あるもんか」

これは、中島みゆきが若いときに歌った「時代」と対極に位置する。かつて「時代」では、このように歌っていた。

http://j-lyric.net/artist/a000701/l003c2f.html

「そんな時代もあったねと
いつか話せる日がくるわ」

「だから今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう」

いまはつらい、苦しい。しかし、未来には希望がもてる。そんな時代の気分を歌っていた。だが、21世紀になって、「Why & No」では、未来への希望はもはやない。あるのは、今現在の時代の理不尽に対する、いきどおりである。どうしようもない、絶望的な感情といってもよいかもしれない。いまは、不遇の時代である。だが、その時代の中にあって、流されるままにあるのではなく、なぜ、「No」と言わないのか……

個人的な感想を記せば、この曲を聴いて、私の脳裏に思い浮かぶのは、電通の過労死事件である。過酷な労働環境のなかで、彼女は、なぜ、「No」と言えなかったのだろうか。言えばいいじゃないか。「No」と言えばいいのである。どうして、言えないのか。あるいは、言わないのか。

死んでしまった犠牲者の、いや、あの事件以外に報道されないだけで、多くの過酷な条件のもとの生きざるをえない、あるいは、死んでしまった人たちが多くいるにちがいない。そのような人びとの鬱積した気持ちの裏側にあるものを代弁しているように、私は聞くのである。

曲の雰囲気もまったちがっている。かつての「時代」のときは、ギターの弾き語りであった。それが、「Why & No」では、ロックになっている。もはやギターの弾き語りで歌うような内容ではない。激しいリズムを何かにぶつけるような方向でしか表現できないのかもしれない。

うがちすぎた感想かもしれないが、「Why & No」を聞くたびに、上に記したような感慨を抱いている。この歌こそが、かつて「時代」のヒットで世に出た中島みゆきの、21世紀の現代における「抵抗の精神」である。

『魚雷艇学生』島尾敏雄2017-02-12

2017-02-12 當山日出夫

島尾敏雄.『魚雷艇学生』(新潮文庫).新潮社.1989 (新潮社.1985)
http://www.shinchosha.co.jp/book/116404/

この本、新潮社のHPには掲載になっているが、オンラインの書店のHPなどを見ると、もう売っていないようだ。島尾敏雄の作品が、ここにきて再評価されるかもしれない。この本も、重版にならないだろうかと思うが。

震洋……太平洋戦争における、特攻のひとつである。この作品は、震洋(魚雷艇)の部隊の指揮官となって、ついに出撃することなく終戦をむかえた、筆者の自伝的な、あるいは、私小説的な作品である。

この小説は、筆者が、予備学生として海軍にはいるところからはじまる。そして、いくつかの訓練を経て、奄美大島に赴任するまでを描いている。このつづき、最終的に、出撃することなく終戦を迎えることになる経緯、その後のことなどは、『出発は遂に訪れず』に書かれることになる。さらには、『死の棘』につづくことになる。

この本を読んで、私のなかに去来したものはといえば、同じく、太平洋戦争末期に特攻として出撃し、奇跡的に生還した、吉田満の一連の作品である。吉田満も、学生を経て、海軍にはいっている。学生であるから、同じく、士官としてである。

ここで、単純に、吉田満と比較することはさしひかえておきたいと思う。特攻というのは、どう考えても、人間としての極限状態である。それは、そう簡単に比較考量することのできる体験ではないだろう。

文庫本で200ページ弱の作品である。しかし、そこに描かれている事実は重い。だが、なんと淡々とした筆致であることか、とも感じる。

筆者は、海軍にはいって、最初は、魚雷艇の乗組員としての訓練をうける。これは、いかに危険といえども、生還の余地はある。それが、途中から、特攻に切り替わることになる。爆弾を搭載したモーターボート、震洋、である。これに、筆者は、「志願」することになる。

戦記の類いを読んで、特攻は基本的に「志願」という名のもとに行われていたことは、あったろう。しかし、実際は、強要に近かったとしても、である。

その「志願」にいたる過程が、実にあっさりと書いてある。おそらくは、いろんな煩悶、苦悩はあったろうが、そんな様子は筆者は描かない。これは、筆者だけのことではなく、周囲のおなじ特攻隊員についても、同様である。きわめて淡々とした描写である。

読みながら付箋をつけた箇所。

「震洋、回天、伏竜など特攻兵器の訓練場所にも当てられたために」(p.80)

実にあっさりと書いてある。「震洋、回天、伏竜」どれも、太平洋戦争の末期になって登場した、特攻兵器の名である。非人間的のきわみといってもよい。だが、筆者は、特攻ということに、特に言及することはない。ただ、そのような兵器があり、そのための人員として選ばれ、そして、そのための訓練をうける、その日常をつづっている。

特攻隊員であることについて、筆者はどう思っていたのか、表だった意見めいたものは描かれていない。描かれているのは、その訓練の日常である。それが、現在の視点からみれば、どんなに非人間的なものであるとしても、その残酷さを告発するような視点を、作者はとっていない。

死が日常にある……それを、静謐な文章でつづる。

これほど、非人間的で、残酷ともいうべき日々のできごとを、平明な視点で書き綴ってあるこの作品は、逆に、その静謐さゆえに、特攻という極限状況におかれた人間のあり方を、我々の前にしめしていてくれる。

それは、静謐、平明でありながら、全体にわたっている張りつめた緊張感のある文章によって、である。人間の極限状況を、このように平明につづるということは、おそらく、きわめて強靱な精神力があってのことである。

この作品を読んで感じるのは、落ち着いた筆致の背景にある、並々ならぬ筆者の精神力でなければならない。

しいて蛇足を付け加えるならば、文学、小説、なかでも私小説という形式の文章を書くということが、筆者をささえているのだとも感じ取れる。おそらく、私小説というようなジャンルがなければ、筆者は、この作品を書き得なかったにちがいないだろう。

「しれっと」は海軍用語か2017-02-13

2017-02-13 當山日出夫

島尾敏雄の『魚雷艇学生』を読みながら、付箋をつけた箇所。「しれっと」の用例である。

島尾敏雄.『魚雷艇学生』(新潮文庫).新潮社.1989 (新潮社.1985)
http://www.shinchosha.co.jp/book/116404/

以下、引用である。〈 〉は原文傍点。

私が頼りにしていたのは、誰だったか教官の一人に教えられた、青年士官はどんな逆境にも〈しれっ〉としておれ、という心得の言葉であった。〈しれっ〉とするというのは動じないで平気な様子を保っていること指すと思われた。〈しれっ〉としているように装うことで私はやっと何かを支えている気持になってきたのだ。(p.53)

ちなみに、『日本国語大辞典』(第二版、ジャパンナレッジ)では次のようにある。

物に動じないさま、けろっとして何も問題にするものはないという態度であるさま、また、何事もなかったように厚かましくふるまうさまを表わす語。

初出例は、1967、井上光晴、である。

確かに、初出例という点では、日本国語大辞典の用例の方が古い。だが、島尾敏雄の書いていることからは、この「しれっと」のことばは、海軍用語として戦前・戦中からつかわれていたとおぼしい。

なお、私の記憶では、この「しれっと」のことばは、吉田満もその著作のどこかでつかっていたと憶えている。島尾敏雄、吉田満の用例から考えるならば、海軍用語として考えてもいいだろう。つまり、その用例をさがせば、戦前のものに遡りうるということである。

その用例を戦前の文献に探すことは、難しいものかもしれない。しかし、戦争の手記、回顧録などを見ることによって、確認できるだろうか。少なくとも、海軍用語としての「しれっと」という解説は、辞典にあってもよいように考える。

『おんな城主直虎』あれこれ「初恋の分れ道」2017-02-14

2017-02-14 當山日出夫

『おんな城主直虎』2017年2月12日、第6回「初恋の分れ道」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story06/

前回のは、
やまもも書斎記 2017年2月7日
『おんな城主直虎』あれこれ「亀之丞帰る」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/07/8352922

今回の見どころは、おとわ(次郎法師)と、亀(直親)が話しをするシーン、それから、二つの饅頭の謎ということになるのだろう……だが、私の興味のあったのは、やはり、ネコである。今回は、和尚にだかれてはいなかった。おとなしくカゴのなかにはいって、ニャーと鳴いていた。

すなおでおとなしいネコだなあ、と思ってみたいたのだった。二回ぐらい登場していたであろうか。

それから、スズメ。竹千代(後の、徳川家康)が飼ってならしていた。さて、ここで、徳川家康を登場させているということは、この物語の今後の展開に、どういう関係があるのだろうか。このあたりが、これからの興味関心のあるところである。

徳川家康は、去年の大河ドラマ『真田丸』でも登場していた。前作とどのように違う徳川家康を描くことになるのか、これからの展開が楽しみである。

出てきたことばで気になったのは、「国衆」。なんの説明もなしにつかっていた。これはもう歴史学用語として……あるいは、大河ドラマ用語として定着したと考えていいのだろうか。『真田丸』では、このことばの使用が、斬新なイメージがあったと記憶している。

また、そろそろ、おとわ(次郎法師)が、将来、直虎になってどう生きていくのか、そのエトスとでもいうべきものが見えてきたようにも感じる。井伊の家のために生きることになるのだろうか。

そして、やはり気になるのはネコ。次回もネコは登場するのだろうか。

『山の音』川端康成2017-02-15

2017-02-15 當山日出夫

川端康成.『山の音』(新潮文庫).新潮社.1957(2010改版) (筑摩書房.1954)
http://www.shinchosha.co.jp/book/100111/

ひさかたぶりの再読になる。最初に読んだのは、高校生のころだったろうか。正直にいって、有名な作品であるという理由で読んではみたものの、なにがいいのかさっぱりわからなかった。文学的感性については、ある程度のものをもっていたと、いくぶんの自負はあるものの、さすがに、この作品を味わうのは、高校生では無理であったかと、しみじみと思う。この年、還暦をすぎて、この小説の主人公とほぼ同じ年代になって読んでみて、つくづくと感じ入るところのある作品である。

文庫(新潮文庫)の解説を書いているのは、山本健吉。この小説を、一種の心境小説としても読める、とある。とはいえ、単純な心境小説ではなく、何重にも入り組んだ虚構のうえになりたっている描写をさして、そのように表現している。そう言われてみると、なるほどと感じる。

読みながら付箋をつけた箇所。

「冬の朝、暗いうちに目をさまして、信吾がさびしく思うようになったのは、いくつごろからだろうか。」(p.224)

(電気カミソリを掃除して)「ふと下を見ると、信吾の膝に極く短い白毛がぽつぽつ落ちていた。白毛しか目につかなかった。/信吾はそっと膝を払った。」(p.285)

(ネクタイの結び方をふと忘れてしまって)「結びかけたのをいったんほどいて、また結ぼうとしたが結べなかった。」(p.353)

他にもあるが、上記のような、「老い」を感じさせる描写に、しみじみとする。(私の経験では、さすがに、ネクタイの結び方を忘れるということはないのであるが。)

ジャパンナレッジ「日本大百科事典」を見ると、『山の音』は、1949から1954、とある。川端康成は、1899年の生まれだから、50歳代前半にこの小説を連載していたことになる。主人公の信吾は、60歳ぐらいの設定。書いていたときよりも、すこし上の年齢の設定になっている。それを、このように描ききるというのは、これこそ文学的想像力というものなのであろう。

この小説を読んで、ふにおちる、あるいは、はっとさせられる描写が、上記の引用など、多々ある。それは、私自身が、年をとってきたということでもあるし、さらには、この小説の描写によって自分自身の「老い」を意識させられる、気付かせられる、ということでもある。

こういうのを文学というのである。そして、この文学が、若い時にわからなかったのは、いたしかたのないことなのかもしれない。

ところで、この小説を読みながら思ったこと……小津安二郎の映画を見ているような感じがしてしかたがなかった。となると、原節子が演じるのは、どの役だろうか。菊子か、それとも、英子か。このようなことが、読みながら、頭からはなれなかった。(このような印象をもって、この小説を読む人も多いのではないだろうかと推測したりしているのだが。)

ともあれ、文学は若いときにだけ読むものではない。年をとってから、昔、若い時にわからなかった作品を再読してみると、その良さがわかることもある。『山の音』は、さらに読んでみたい作品である。

追記 2017-02-15
この文章を書いてアップロードしてから、検索してみて、『山の音』が映画化されていることを知った。成瀬巳喜男監督。原節子が、菊子の役を演じているよし。

『沈黙法廷』佐々木譲2017-02-16

2017-02-16 當山日出夫

佐々木譲.『沈黙法廷』.新潮社.2016
http://www.shinchosha.co.jp/book/455511/

まず、私の読後感を記すならば、ミステリのベスト10にはいっていてもいい作品である。だが、この作品は、2016の各種のミステリのベストのなかにははいっていないようだ。

その理由として考えられることは……結局、犯人は誰であるのか、というミステリの一番肝心なところが、最後まで不透明なままに終わる……とはいえ、最後のところで、事件の「真犯人」は明かされるのであるが、それを、捜査と論理で明らかにする、特定する、という描き方ではない。

本の帯には、「警察小説の迫力、法廷ミステリーの興奮」とある。また、新潮社のHPには、「警察小説と法廷小説が融合した傑作。」ともある。これは、そのとおり。作品の前半は、警察の捜査を中心にした警察小説であり、後半は、その裁判(裁判員裁判)の様子が描かれる。その裁判の様子を見ているのは、ふとしたことから事件にかかわることになった、ある男性。その人物が、裁判を傍聴するという形式をつかって、裁判員裁判の進行の様子を叙述してある。

だから、非常にわかりやすい描写の小説である。が、その反面、少々、記述がくどくわずらわしいと感じる点がないではない。事件について、警察の捜査段階での描写と、裁判での証言の描写で、同じ事を繰り返し述べることになっている。

これをくどいと感じるか、あるいは、同じ事象を、警察捜査の視点から見るのと、裁判における証人の証言として語るのとで、異なってくる、その違いを楽しんで読むか、このあたりは、読者の好みの分かれるとこかと思う。

私としては、佐々木譲ならではの警察小説であり、また、法廷小説における検察・弁護の双方の意見の応酬に読み応えを感じる、すぐれた作品として読んだ。先に書いたとおり、私なら、ベスト10にいれたくなる。

ただ、蛇足としての感想を書いてみるならば……この作品のなかでも語られるように、ネット社会における虚像としての、ある人格、とでもいうようなものが印象的である。ネット社会の虚像、このようなものを、宮部みゆきならどのように描くだろうか、というようなことを思ってみたりした。

また、上記の新潮社のHPに文章を寄せているのは、川本三郎。現代社会の世相を、丹念にこの作品からよみといている。社会の底辺でひとり生きる女性、独居老人の生活など、すぐれた解説となっている。

ともあれ、これは、読んで損はない作品であるとはいっておきたい。

『暗夜行路』志賀直哉2017-02-17

2017-02-17 當山日出夫

志賀直哉.『暗夜行路』(新潮文庫).新潮社.1990(2007改版)
http://www.shinchosha.co.jp/book/103007/

『暗夜行路』の成立の事情は複雑である。

ジャパンナレッジでみると、概略はつぎのようになる。

大正10年(1921)年から昭和12年(1937)にかけて『改造』に断続連載。前編は、大正11年(1922)。後編は昭和12年(1937)。十数年以上の年月をかけて書いた、志賀直哉の唯一の長編小説である。

この作品、若い時、高校生ぐらいのときだったろうか、読んだことを憶えている。そのときは、そう感動するということもなかったが、最後の、大山の登山の場面だけは、妙に印象深く記憶に残っていた。この作品をはじめとして、志賀直哉の作品など、改めて再読してみたくなって読んでみた。

作品中、地域としては、東京だけではなく、尾道、それから、京都を舞台にしている。この作品を読んだのが高校生のころだったとすれば、その当時は、京都の宇治に住んでいたから、京都を描いた文学として記憶にあってもいいようなものだが、その記憶が私にはない。

この意味では、『細雪』の京都の花見の場面を憶えているのとは対照的である。まあ、『細雪』は、国語の教科書でも出てきて読んだということもあるのかもしれない。だが、その土地を、どのように文学的に描写するかということも関係してくるだろう。

漱石も京都を描いている。京都に足をはこんでもいる。だが、一般的に、近代文学のなかの京都というのは、あまり印象にのこっていない。個人的に強く印象にのこっているのは、『檸檬』(梶井基次郎)だろうか。これも、高校生ぐらいのときに、読んだ本である。ちなみに、そのころ、京都の丸善にはよく行った。むろん、『檸檬』に描かれた丸善とは違っているのだが。

やまもも書斎記 2017年2月1日
『細雪』谷崎潤一郎(その一)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/01/8346499

やまもも書斎記 2016年12月12日
NHK「漱石悶々」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/12/12/8273984

今になって再読してみて、京都を舞台に描いている小説の一つだな、という感じはしても、その京都の街に文学的印象を持つような書き方にはなっていない。いや、文学的印象という観点では、始めの方に出てくる尾道の街の描写の方が印象深い。

再読してみて、やはり作品全体として印象的なのは、大山の登山のシーン。もっと延々と詳細な描写があったように記憶していたのだが、再読してみると、登山そのものの記述は、ごくあっさりとしたものである。

だが、そこで描かれている、自然描写、それから、人生観、人間観というべきものは、感動的といってもよい。

付箋を付けた箇所。

「それからの彼は殆ど夢中だった。断片的には思いのほか正気のこともあるが、あとは夢中で、もう苦痛というようなものはなく、只、精神的にも肉体的にも自分が浄化されたということを切りに感じているだけだった。」(p.558)

この長編は、決して読みやすいものではない。特に波瀾万丈の事件がおこるというようなものではない。なにがしか罪の意識とでもいうようなものを背負った主人公(時任謙作)の、心境小説とでもいうべき描写がながくつづく。だが、それを我慢して最後まで読んで、登山の場面になると、ああここまで読んできてよかったなあ、と感じる。最後の登山の場面において、主人公に同化して自分自身も浄化されるような印象が残った。

志賀直哉の作品、短編など、さらに読んでみようと思っている。

海の博物館に行ってきた2017-02-18

2017-02-18 當山日出夫

海の博物館に行ってきた。

海の博物館
http://www.umihaku.com/

ニュースなどによると、この博物館、経営上の理由で、運営している公益財団法人から鳥羽市に売却されるとのこと。

久しぶりに行ってみたくなったのと、移管される前の状態の博物館を再度見ておきたくなったからである。この博物館には、10年ぐらい前になるだろうか、行ったことがある。その時の印象としては、ここはいい博物館だな、ということ、そして、民俗学を中心として、自然科学の各方面からの、調査研究を展示している、文理融合の博物館である、そのような印象をもった。

今回、再訪してみて、その印象を確認した。

印象深く思ったことをのべるならば、

第一には、上記のような、文理融合型の総合的な博物館であること。このような博物館としては、私の知っている限りだと、滋賀県にある琵琶湖博物館がある。

海で生活する、漁師や海女などの仕事、生活。それから、海の生態系。その民俗学的な研究、これらが、総合的に展示されている。しかも、基本は、その実物を残しておいて展示するという方法。海女のつかう道具などが、伊勢のみならず、日本各地の海女漁で使用するものが、その歴史的背景とともに、展示されている。とにかく、実物(もの)を残しておいて見せる。しかも、その視点が、民俗学のみならず、自然科学の観点にたって、海の生態系のなかで生きる人間のいとなみをしめすものとして展示してある。

第二には、その建築である。前回、行ったときには、その建物にはあまり目をくばらなかったが、今回、再訪してみて、その建築としてのすばらしさに注目した。

日本建築学会賞、公共建築百選、などに選ばれている。それぞれの建物もいいが、外に出て、数棟の建物にとりかこまれた中庭にたって、周りを見回してみると、その建築の作り出す空間美を感じる。鳥羽の海辺にある別世界という印象である。

博物館は、道路から坂道を下ったとことに海岸沿いに建ててある。直接、海に面してはいない。展示棟から出て、さらに少しくだったところに海岸がある。リアス式海岸の内側になる。波はおだやかである。すぐ近くに、対岸の陸地が、こんもりとした小さな山々のつらなりのように見える。

第三には、収蔵庫に入れるようになっている……この博物館の最大の展示といってよいであろう……船のコレクションである。日本の木製の船の実物が、巨大なコンクリートの建物の中に、ぎっしりと並んで収められている。その数は、100にも達するだろうか。また、周囲の壁には、櫂や櫓といった、船をあやつる道具が、数限りなくと感じるほど大量においてある。この収蔵庫の中にはいると、まずその迫力に圧倒されてしまう。

どの船も、実際に日本各地で、つい近年まで実際に使われていたものばかりである。船の構造も大きさも実に様々。沿岸漁業の漁に現実に使われていたものがコレクションしてある。

以上の三点が、今回、この博物館に行って、再度確認したこと、感じたことである。非常に素晴らしい展示であり、コレクションである。

今回、行ってみて、追加になっていると気付いた展示がある。それは、東日本大震災の時の、津波の映像記録が、動画像としてディスプレイで見られるようになっていた。

近年、東日本大震災のことは、その復興の現状については報道されることが多いが、当日(2011年3月11日)、どのようであったか、その津波の襲ってくる場面の映像記録は、テレビなどで、放映されることは基本的になくなっている。それが、この博物館では、津波の映像資料として、その当日に記録された映像が見られるようになっている。

これは、貴重な記録であり、展示であるということができよう。

今後、この博物館がどうなるか分からない。しかし、私としては、これまでの、そして、今の展示の方針を変えることなく、貴重なコレクションを守っていってほしいと願う次第である。

『慈雨』柚月裕子2017-02-19

2017-02-19 當山日出夫

柚月裕子.『慈雨』.集英社.2016
http://renzaburo.jp/shinkan_list/temaemiso/161028_book01.html

http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-771670-2

柚月裕子の作品は、すでに一冊とりあげた。

やまもも書斎記 2017年1月20日
『孤狼の血』柚月裕子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/01/20/8327720

面白かったので、他の作品も読んでみたいと思って手にした。この作品、週刊文春ミステリーベスト10(2016)を見ると、19位になっている。期待して読んでみたのだが……その期待に十分にこたえてくれる作品になっている。

ただ、まず、言っておかなければならないことは、「警察小説」というミステリのジャンルは、リアリズムを基本とする、しかし、実際の警察の姿をそのまま描くのではない、あくまでも、警察というを設定したうえでの、フィクションである、ということ。なぜ、こんなことを書いておくかというと、Amazonのレビューを見ると、低評価のコメントが目につく。いわく、こんな警察官は実際にはいない……それはそうかもしれないが、この作品は、あくまでも、小説なのである。これを、忘れて、警察の捜査のノンフィクションであるかのように読んでしまってはいけないだろう。

事件は群馬県でおこる。少女誘拐強姦殺人事件。この捜査が警察で捜査される。それと平行して、もう退職した警官が、四国巡礼のたびに出る。彼には、16年前におこった同類の事件の捜査の記憶があった。あの事件のことがよみがえる。はたして、正当に捜査され、事件は解決したのだろうか。だが、彼は、妻をともなって、巡礼をつづける。だが、気になってしかたがない。警察に携帯電話で連絡する。そして、巡礼の旅をつづけながら、携帯電話で連絡をとりながら、捜査にかかわりつづけることになる。

ここに描かれたのは、警察官の職務倫理、生き方の問題であり、夫婦の物語であり、親子のものがたりである。これらが、重層的におりかさなって、最終的に、事件の真相にたどりつく。

たぶん、次のことばが、この作品の基調にある。冒頭近くにある、ある先輩刑事の言ったこととして、

「罪を犯すのは生きている人間だ。被害を受けるのも生きている人間だ。事件ってのは生きてるんだ。俺はいつも、事件という名の生きた獣と闘っているつもりだ。」(p.34)

この作品に描かれているのは、生きた人間としての警官であり生きている事件である。

この小説の面白さは、「探偵」の役になる、退職した警官が、妻をともなって、四国巡礼の旅をつづけつつ、携帯電話で、もとの職場の後輩警官と連絡をとりあいながら、事件解決にむけて、歩みをすすめていく、という大きな構図にあるだろう。四国巡礼の旅が、まさに、事件解決への道程と重なって読むことになる。

また、現在において、徒歩で四国巡礼をあるく姿の描写が実にリアルに描いてある。このリアルな描写が、この作品の魅力をささえている。ある種の罪の意識をかかえた、元警官が、妻をともなって徒歩で四国巡礼を旅する、その物語と呼んでも十分に面白い。

これは、おそらく日本ならではの「警察小説」というジャンルにおける、すぐれた作品のひとつといってよいであろう。私としては、おすすめとしておきたい。

『定本日本近代文学の起源』柄谷行人2017-02-20

2017-02-20 當山日出夫

柄谷行人.『定本日本近代文学の起源』(岩波現代文庫).岩波書店.2008 (岩波書店.2004)
https://www.iwanami.co.jp/book/b255833.html

この本の初版は、1980年(所収の、初版あとがきによる。)

今から30年以上も前の本である。初版が出てから、幾度か版を変え、あるいは、外国語版(翻訳)があって、それへのあとがきを追加などがある。この岩波現代文庫版が、最新のものということになる。

この本を再び読んでみたくなったのは、武田徹が、『日本語とジャーナリズム』で言及していたからである。再度、自分の目で、読んで確認しておきたくなった。

やまもも書斎記 2016年12月28日
武田徹『日本語とジャーナリズム』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/12/28/8296921

この本からは、次の二ヶ所を引用しておきたい。

「つまり、表現されるべき「内面」や「自己」がアプリオリにあるのではなく、それは「言文一致」という一つの物質的形式の確立において、はじめて自明のものとしてあらわれたのである。かつてのべたように、「言文一致」とは、言を文にうつすことではなく、もう一つの文語の創出にほかならなかった。したがって、単に口語的に書く山田美妙や二葉亭四迷の初期の実験は、森鴎外の『舞姫』(明治二三年)が登場するやいなや、たちきえるほかなかった。」(p.170)

「これまでにもくりかえし述べたように、私は「文学史」を対象としているのではなく、「文学」の起源を対象としている。」(p.149)

だが、そうはいっても、この本は、「文学史」として読まれてしまうことになる。これは、その「起源」を尋ねることが、おのずと「歴史」を語ることになってしまうからである。そして、これは、筆者には不本意なことかもしれないが、現代において、本書を除いて、手軽な「近代文学史」がほとんど無い、ということもある。

さらに引用するならば、次の箇所になるだろうか。

「明治二十年代における「国家」および「内面」の成立は、西洋世界の圧倒的な支配下において不可避的であった。われわれはそれを批判することはできない。批判すべきなのは、そのような転倒の所産を自明とする今日の思考である。(中略)「文学」、すなわち制度としてたえず自らを再生産する「文学」の歴史性がみきわめられなければならないのである。」(p.137)

このような視点たったとき、今、私の考えることとしては、日露戦争後の文学としての、夏目漱石の諸作品……漱石は、ほとんど日露戦争と同時に文学(小説)の世界にはいったと考えていいだろう……を、どう理解し、読むかということになる。

あるいは、(最近、私が読んだりしたもののなかでは)志賀直哉の作品など。明治40年すぎてから書かれている。これらの作品を、今日の視点から、どのように、読むのか、ということが問いかけられることになるのだと理解する。

ただ、私は、近代文学については、単なる読者の一人でありたいと思っているので、これ以上の言及はしない。だが、漱石などを読むとき、その文章(近代的な口語散文)の成立と、その文学とは、密接に関連しているということを確認しておけばよいと思っている。

漱石が、その小説において、どのような文章の技巧をこらしているかは、すでに少し見たことがある。

やまもも書斎記 2016年12月1日
漱石『三四郎』の野々宮と野々宮さん
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/12/01/8263506

やまもも書斎記 2016年12月2日
漱石『三四郎』の野々宮と野々宮さん(その2)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/12/02/8265835

近代の文学において、どのような文章によって、何を書くのか、また、その対象は、はたして自明なことなのであろうか。近代的な市民社会における自己、自我というものは、アプリオリに存在するものなのだろうか。このようなこと、『定本~~』を再読してみて、いろいろと考えてみたりしている。