「舌鼓」は「したつづみ」か「したづつみ」か2017-04-22

2017-04-22 當山日出夫

『楡家の人びと』(北杜夫、新潮文庫版)を読んでいて、付箋をつけた箇所がある。それは、「舌鼓」のルビの箇所である。

第三部の167ページ。「舌鼓」に「したづつみ」とルビがある。

このことば、「したつづみ」なのだろうか、それとも、「したづつみ」なのだろうか。私のことばとしては、「したづつみ」で憶えている。だが、世の中の趨勢としては、「したつづみ」の方が優勢のようにも観察される。そんなに注意して見ている、聞いているというわけではないのだが、このことばは気になっていることばのひとつである。

その理由は、若いとき、東京に住んでいたころのこと……私の国語学の先生……山田忠雄という……と話しをしていて出てきた。「したづつみ」のように、複合語になって濁音の位置が移動する例がある。この他には、「せぐくまる」がある。

このことの経験が、記憶にのこっている。そのせいか、テレビなどで、「舌鼓」ということばが出てくると、どっちで言っているか、注目する。

ただ、日本国語大辞典(ジャパンナレッジ)を見ると、「したつづみ」の方がただしいとある。見出しは「したつづみ」。そして、「誤って「したづつみ」とも。」とある。初出例は、日葡辞書。語誌のところに、「したづつみ」は、転訛した語形であると記してある。

現代日本語においても、まだ「したづつみ」の使用例があるということの一例として、『楡家の人びと』の用例をあげておきたい。

追記 2017-05-08
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年5月8日
『ブッデンブローク家の人びと』トーマス・マン(その四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/05/08/8548850