まずは通説を知る必要2017-05-12

2017-05-12 當山日出夫(とうやまひでお)

先日の日本語史の講義。古事記についてであった。

まず、黒板につぎのようなことを書いて説明する。

712年。太安万侶が、稗田阿礼の暗記していたことを、文字(漢字)で書いて書物にした。漢字だけで日本語を書いた、最古の文献である。ここには、日本の神話、歴史が書かれている。

このように書いたうえで、さらに次のように言った。

この黒板に書いてあるようなことを、そのまま文字通りに信じているような日本語史研究者、古代史研究者は、いません。書いてあることは嘘ではないが、しかし、専門家は、これらのことについて、さらなる疑義をさしはさむことで、研究をすすめている。だから、専門の研究書や辞典などをひいて調べようとすると、まず、このことを知らないといけない。

嘘ではない。しかし、研究者が本当のことと信じているわけではない、ということがある。大学以上の勉強は、そこを考えることにある。

これまで(高校まで)、学校の授業で、先生が語ること、黒板に板書して書くようなことは、本当のことであると思って学生は、これまでやってきたのであろう。だから、上記のような話しをすると、学生は、困惑したような表情をうかべる。

だが、大学で勉強しているのだから、ただ、教師が「正解」を語って、それを憶えるというだけのものではないはずである。通説とされるものがなんであるかを知ったうえで、それにクエスチョンマークをつけて考えることができなければならない。

どこをどのように疑ってかかるのが、学問的に妥当な問いかけであるかというのは、その先の議論にはなる。とはいえ、とりあえず、基本として、このようなことを知っていることを前提として、それへの疑義として、専門の研究がなりたつということは、これからの勉強で必要になってくることであろう。

なお、私が学生の時に学んだ、民俗学的な古代研究(折口信夫の系譜につらなる)では、古事記の成立、あるいは、稗田阿礼については、かなり大胆なことを考えたりしたものである。現在の私の講義では、それをうけるかたちで、稗田阿礼は、ひょっとすると、現代のAKB48のようなものであったのかもしれません、と言ってみたりもするのだが。(名前はあるのだが、一種の職能集団のようなもの。メンバーの入れ替わりがあって、代々その仕事がうけつがれていく。)