『赤と黒』スタンダール(その二)2017-06-03

2017-06-03 當山日出夫(とうやまひでお)

つづきである。
やまもも書斎記 2017年6月1日
『赤と黒』スタンダール
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/06/01/8581779

この作品、本当にわかるためには、フランス革命後の19世紀初期のフランスの状況について知っていないといけないだろう。翻訳(新潮文庫版)にも、このあたりのことは、かなり細かく注がついている。

しかし、そのさらに前提となる、フランスの歴史についてうとい私には、せっかくの注もあまり役にたたなかった。もうすこし、西欧の歴史、フランスの歴史、文学史などについて、これまでに勉強しておけばよかったと思うことしきりである。

だが、そのようなこと……時代的背景への理解……ということを、さしおいても、この作品は、ある種の文学的感銘を与えてくれる。(だからこそ、世界文学の古典というべきなのであるが。)

はっきりいって、私は、ジュリヤン・ソレルという人物が好きになれなかった。たしかに、貧しい生いたちから、なんとかしてのぼりつめていこうとする意思については、なんとなく分からなくはないのだが、強く共感するといことはない。これは、私の理解が浅いというだけのせいかもしれないが。

しかし、最後のところ、ジュリヤン・ソレルが死を前にしての述懐のあたりになると、思わず作品世界に引き込まれる。ああ、こんな人間が、こんな生き方を選んで、最後には、死を迎えることなるのか……と、深く感銘を覚えた。

ここまで読んで来て、この作品『赤と黒』が、これまで世界文学の名作として読み継がれてきた理由が、自分なりに納得できたと感じた。(やはり、途中で挫折して投げ出してしまっては、この作品に感動するということはない。最後まで読まないとだめである。)

私も、この年になって……還暦をすぎた……あまり新規なものに手を出したいと思うことがなくなってきた。それよりも、昔読みかけて挫折しているような本を、再度チャレンジしてみたいと思っている。古典、名著、名作である。

今では、古本で安く買えるようになっている。あるいは、新しい活字本(字が大きくなっている)があったりする。

『赤と黒』もそんな本のひとつ。再読してみてよかったと思う。

さて、今、読みかけているのは、『ボヴァリー夫人』。新しい新潮文庫版で読んでいる。翻訳については、毀誉褒貶あるようだが、私としては気にいっている。読後感などは、追って。