『憲法サバイバル』加藤陽子・長谷部恭男2017-06-08

2017-06-08 當山日出夫(とうやまひでお)

ちくま新書編集部(編).『憲法サバイバル-「憲法・戦争・天皇」をめぐる四つの対談-』(ちくま新書).筑摩書房.2017
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480069535/

筑摩書房から、ちくま新書の一冊として、この本が出たので読んでみた。四つの対談を編集したものなので、一日に一つづつ読んでいくことにする。まず、最初は、加藤陽子と長谷部恭男である。

加藤陽子、長谷部恭男については、以前にこのブログでも書いたことがある。たとえば、

やまもも書斎記 2016年7月9日
加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』憲法とE・H・カーのこと
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/09/8127772

やまもも書斎記 2016年
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』「ホッブズを読むルソー」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/21/8135281

他にも触れたことがある。この対談でも、戦争とは、相手国の憲法を書きかえさせることに目的がある、との議論が両者の間で展開されている。この点について、さらに理解しておくためには、上記のところでとりあげたような、二人の書いた本を読んでおくべきかもしれない。

読みながら、いくつか付箋をつけたが、そのいくつかを引用しておきたい。

(長谷部)(大日本帝国憲法には)「天皇は全国家権力を掌握しているけれど、それを行使する時は自身がつくった憲法の条規に従う。この国家法人理論と君主制原理は、とても相性が悪いんです。」(p.20)

としたうえで、現在の憲法について、

「実は人民主権原理にも、同じような問題があります。人民は全国家権力・主権を持っているが、自らが制定した憲法の範囲内でのみそれを行使する。そんなことは本当に、理論的にあり得るのかということです。」(p.21)

と述べる。国民の主権ということは、今の憲法において当たり前のことのように思っているが、理論的に考えると、いろいろ問題をはらんでいるらしいことがわかる。といって、昔のように天皇主権にもどせばよいというものでもない。

それから、次のような発言も興味深かった。

(加藤)「つまり大日本帝国憲法というのは、究極の押しつけ憲法だと。」(p.28)

今の憲法についての改憲議論のなかに、GHQの押しつけ憲法だから改憲すべきだという意見もある。であるならば、その前の、大日本帝国憲法は、どうであったのか、考えてみてもいいだろう。

他にも、この対談で興味深い箇所がいくつかある。

憲法学という法律の学問分野は、意外と新しいのである、という指摘などは、憲法の専門家に言われてみて、なるほどそういうものかと思ったりする。また、憲法についての議論としては、美濃部達吉を非常に高く評価している。国家法人説、天皇機関説である。そして、今、その美濃部の著作を読もうとしても、全集、著作集のような形にはなっていないともある。そんなものなのかと思ってしまう。

ところで、どうでもいいことのようだが……加藤陽子は、山田風太郎が好きらしい。これはなるほどと感じる。特に、歴史、また、文学に関心があるのなら、その明治伝奇小説の一群の作品は、私は、高く評価されてよいと思っている。山田風太郎は、司馬遼太郎が描かなかった明治、近代日本というものを描き出した作家だと思う。