『日本の近代とは何であったのか』三谷太一郎(その五)2017-07-01

2017-07-01 當山日出夫(とうやまひでお)

つづきである。
やまもも書斎記 2017年6月29日
『日本の近代とは何であったか』三谷太一郎(その四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/06/29/8606332

三谷太一郎.『日本の近代とは何であったか-問題史的考察-』(岩波新書).岩波書店.2017
https://www.iwanami.co.jp/book/b283083.html

第4章を読みかけたところで、ふと付箋をつけた箇所について。この章は、近代の天皇制についての章なのだが、それにはいる前の前段階の議論で、ちょっと興味深い記述があった。

日本の近代を機能主義で説明しようとするとき、それに外れた人たちのことにもふれることになる。たとえば、

「森鴎外が一連の「史伝」で描いた江戸時代末期の学者たちの学問は、明治期の機能主義的な学問に対する反対命題でした。鴎外が「史伝」の著述にあたって、そのことを明確に意識していたことは明らかです。」(p.210)

つづけて、永井荷風におよぶ。1909(明治42)年の「新帰朝者日記」について、それを引用したあと、

「ヨーロッパには「近代」に還元されない本質的なものがあるという荷風の洞察は、後年文芸評論家中村光夫に深い感銘をあたえました。」(p.211)

ここを読んだとき、私の脳裏をよぎったのは、読んだばかりの、『日本の覚醒のために』(内田樹)である。

やまもも書斎記 2017年6月29日
『日本の覚醒のために』内田樹
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/06/30/8606943

この中の「伊丹十三と「戦後精神」」で、伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』に言及した箇所である。ここで、内田樹は、伊丹十三が、日本近代がとりこもうとしたヨーロッパにあって、その生活に密着したところにある職人たちの仕事にふれている。ヨーロッパの職人たちのわざこそ、日本の「伝統」とつながるものであると理解していると、私は読んだ。

たぶん、「近代」の日本というもののなかにあって、森鴎外、永井荷風、伊丹十三は、通底するものがあるにちがいない。さらには、内田樹にも。近代日本のモデルとなった西欧文化のなかに、機能主義的ではない文化的な伝統とでもいうべきものを見いだしている。

そして、さらに私見を書くならば、機能的ではない、人間の生活に根ざした文化的なものへの憧憬、これこそは、真性の「保守」の発想につながるものであろう。

伊丹十三をきちんと読んでおかなければならないと思っている次第である。また、荷風や鴎外も読み直してみたい。

追記 2017-07-06
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年7月6日
『日本の近代とは何であったか』三谷太一郎(その六)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/07/06/8615164