『居酒屋』ゾラ(その二)2017-07-15

2017-07-15 當山日出夫(とうやまひでお)

つづきである。
やまもも書斎記 2017年7月13日
『居酒屋』ゾラ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/07/13/8619336

ゾラ.古賀照一(訳).『居酒屋』(新潮文庫).新潮社.1970(2006.改版)
http://www.shinchosha.co.jp/book/211603/

自然主義文学の日本への影響ということについては、一般的、教科書的な知識しか私にはない。それでも、一応、書き留めておくことにする。

第一は、日本で、自然主義文学がどのように受容されたか、影響を与えたかになると、「私小説」と「プロレタリア文学」になる。ともに、あまり私の好みではない。そんなに嫌いということではないが。このようなこともあって、フランス自然主義文学は、ちょっと遠ざけてきたきらいがないではない。

だが、自分も歳をとってきたせいもあるのだろう……これまで読んでこなかった作品を読んでおきたいと思うようになった。世界の文学、名著、古典というものをきちんと読んでおきたいと思う。それで、今回、手にしてみたということである。

第二は、特に、ドレフェス事件と永井荷風の一件である。日本の近代文学、あるいは、永井荷風について書いたものなら、たいてい触れてあると思う。

最近、永井荷風について書いたものを読むことが多くなってきている。それは、永井荷風それ自体を読むよりも、ある意味で面白いともいえる。それぐらい、永井荷風は、いろんな角度から、日本の近代というものを照らし出している作家である。

その永井荷風が、社会から目をそむけて、文人趣味に韜晦するきっかけになったのがドレフェス事件であるというのは、知られたことであろう。つまり、日本文学の側から、それも、永井荷風というフィルターを通してしか、ドレフェス事件というものに接してこなかった。

そうではなく、やはりゾラの作品自体を読んでおくべきだという気がしてきた。そのこともあって、読んでみたということもある。

うがった読み方をすればであるが……かなり屈折した形ではあるが、ゾラの社会批評のまなざしが、永井荷風の作品、特に『断腸亭日乗』などに見ることができるのではなかろうか。もし永井荷風が、フランスの自然主義文学というものに、日本において、どう対処するかということを経ていなければ、『断腸亭日乗』のような「作品」を残すこともなかったのではないか。

だいたい以上の二つの点が、ゾラの作品を読んで感じるところである。他に『ナナ』も読んだ。『ジェルミナール』も買ってある(「世界の文学」版)。読んで思ったことなどは、また書くことにしたい。

ともあれ、日本近代文学への影響ということをぬきにして、これらの作品を読んでみたいと思っている。だが、その一方で、やはりゾラが『居酒屋』で示したような社会批判のまなざしに接してみることによって、永井荷風という作家の生き方がすこしわかったような気にもなる、このことも書いておきたい。

追記 2017-07-17
この続きは、
やまもも書斎記 2017年7月17日
『居酒屋』ゾラ(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/07/17/8622043

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