『無用者の系譜』唐木順三2017-07-27

2017-07-27 當山日出夫(とうやまひでお)

唐木順三.『詩とデカダンス 無用者の系譜』(中公選書).中央公論新社.2013(1959.筑摩書房)
http://www.chuko.co.jp/zenshu/2013/07/110015.html

ふと思って、唐木順三の本を読んでいる。理由はあれこれあるが……

第一に、大学で教えている日本語史の講義。このなかで、『伊勢物語』第九段「東下り」について、言及することがある。そのとき、「身を用なきものに思ひなして」のところで、ちょっとだけ、唐木順三のことに言及することにしている。再度、もとの本でどうであったか確認したくなって読んでみた。

第二に、今の私の読書がそうなのだが、昔読んだ本、影響をうけた本など、再読したくなってきている。まだ読んでいない名著、古典、名作も読んでおきたい。と同時に、主に学生のころに読んで影響をうけたような本を、再び読み直してみたい気持ちになってきている。

だいたい以上の二点の理由から、本棚からとりだしてきて読んでみた。「全集」も持ってはいるのだが、それは、これからとりかかるつもり。まずは、近年、中公選書で出た「唐木順三ライブラリー」のシリーズからと思って、手にしてみた次第。

『無用者の系譜』を読んだのは、高校生の時だったと憶えている。国語の先生と話しをしていて……唐木順三を読めと薦めてくれた。そのころ、たしか、筑摩書房で、「唐木順三文庫」のシリーズを出したころだったかと思う。また、筑摩選書などで、いくつかの作品があったように思う。(探せば、それらの本もまだ持っているはずである。)

今から思えば、高校生を相手にして、唐木順三を読みなさいと薦めてくれるというのは、とても贅沢な話しである。現在では、大学で、日本文学や日本史を専攻している学生を相手にしても、唐木順三を読みなさいとは、なかなか言いにくいと思う。

唐木順三のような人が、もういなくなってしまった、と感じる。もともとの専門は哲学……京大で西田幾多郎の門下……これを出発点として、和漢、東西の古典に素養があり、それを背景にして、日本の古典、『万葉集』の昔から、平安、中世、近世、そして、近現代にまで、その評論の筆がおよぶ。

古くは、和辻哲郎や、新しいところでは、加藤周一、中村真一郎などが、このような仕事をしたことになろうか。今では、このようなスケールの大きな、評論家、文筆家というべき人がいなくなってしまっている。

これはおそらく、『文学』(岩波書店)がなくなってしまったことなどと、どこかでつながっていることなのだろうと思う。雑誌『国文学』もなくなってしまった。『言語生活』も『言語』もなくなってしまった。

時代の流れと嘆いてもしかたがないのだが、ともかく、このような時代の趨勢の中にいることだけは、自覚しておかなければならないと思う。そのことを踏まえたうえで、今の時代、これからの時代のことを考えて、唐木順三の仕事を再度、読み直しておきたいと思っている。

『無用者の系譜』については、あらためて。文学……広義の……文学、歴史、哲学、宗教……は、「無用」であっていいのではないか。あるいは、自らを「無用者」とする人びとは今いるのであろうか。今の時代、「文学」に社会的効用をもとめすぎていないだろうか。

追記 この続きは、
やまもも書斎記 2017年7月28日
『無用者の系譜』唐木順三(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/07/28/8628812