『ナナ』ゾラ(その二)2017-08-04

2017-08-04 當山日出夫(とうやまひでお)

つづきである。
やまもも書斎記 2017年8月3日
『ナナ』ゾラ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/08/03/8638804

ゾラ.川口篤・古賀照一(訳).『ナナ』(新潮文庫).2006
http://www.shinchosha.co.jp/book/211604/

ナナという女性の「職業」はいったい何なんだろう……これもよくわからないところである。舞台にたつ人気女優でもある。また、男たちを手玉にとって渡り歩く、高級娼婦でもある。この二つの側面があって、作品では、ごっちゃになって語られる。このあたりが、この作品をわかりにくくしているところでもあるし、また、同時に、ナナという女性の魅力でもある。

読みながら付箋をつけた箇所を引用しておく。

「しかし、小鳥のような脳味噌では、復讐心など長続きはしなかった。怒っている時以外に彼女の心を占めているのは、常に活発な浪費欲と、金を出してくれる男に対する生まれながらの軽蔑と、情夫の金を湯水のように使って破産させることを誇りとする、飽くなき搾取家の絶え間ない気紛れだった。」(p.463)

実に奔放な女性として描かれている。美貌ではあるが、さして賢いようではないようだ。(この点、『居酒屋』に登場する時のナナは、家族を思う気持ちをもった女性として描かれていたように思う。)

小説は主に、舞台、劇場でのナナと、男たちを相手にしている時のナナ、この二つの場面で構成されている。そして、このどちらもが、21世紀の日本で読んで、そう深く感情移入できるということはないように読めた。(これは、私の読み方の浅いせいかもしれないが。)

私が読んで、興味深かったのは、むしろ舞台、劇場の場面である。風俗史的な興味もあるが、その当時(19世紀のフランス)の舞台の人びとの様相が活写されていると思って読んだ。

一つの小説として独立した作品として決着をつけておかなければならないので、そのような結末になっているのだろうと、推測してみる。あるいは、最後にナナは自滅せずに、そのまま奔放な生活をつづけていくという終わり方もあったのかもしれないのだが。

ゾラの作品、他につづけて読んでみることにする。