『モーパッサン短篇選』(岩波文庫)(その二)2017-09-15

2017-09-15 當山日出夫(とうやまひでお)

つづきである。
やまもも書斎記 2017年9月14日
『モーパッサン短篇選』(岩波文庫)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/09/14/8676530

岩波文庫版の解説(高山鉄男)を読んで、これは重要かなと思った点についていささか。

第一は、モーパッサンの短篇小説は、日刊新聞に発表されたものであるとのこと。これは、メディアと文学の関係を見るうえで重要だろう。

引用しておくと、

「モーパッサンの短篇は、おおむね日刊新聞に発表された。(中略)モーパッサンは、これらの新聞にほとんど毎週のように短編小説や、いわゆる時評(クロニック)を発表した。当時の新聞は、現在と異なり、第一面に有名な文学者の短篇や時評を載せたもので、どの新聞も、魅力的な短文の書ける文学者を何人もかかえていた。モーパッサンもそういう有能なジャーナリストの一人だったのである。」(pp.281-282)

今の我々は、編集された書物(短編小説集)として読んでいるが、もとは日刊の新聞に掲載されたものであった。これは、重要なポイントだろう。だからこそ、個々の作品において、小説のうまさが必要とされる。

第二は、岩波文庫版を読みながら気付いた点だが、語り手がいることの指摘。

「モーパッサンの短篇のもう一つの特色は、しばしば語り手がいて、この語り手の存在や、物語がなされた場所が、小説の雰囲気づくりに役だっていることである。」(p.282)

そういわれてみると、絵の額縁のように、語り手が登場して語りはじめる、というスタイルの作品が多い。そして、その語り手の存在が効果的に用いられている。

以上の二点が、モーパッサンの短篇について、岩波文庫版の解説で、留意しておくべき点かと思ったところである。

モーパッサンの短篇集は、翻訳では、岩波文庫版の他に、新潮文庫版(三冊)が出ている。これも、読もうかと思っている。いや、読んでおきたい。が、とりあえず、今は、ドストエフスキーの長編小説を、まとめて読み直しているところ。『罪と罰』は読んだ。今は『白痴』を読んでいる。後期の授業が始まるまでに、『悪霊』とか『カラマーゾフの兄弟』とか、再読しておきたい。

自分の日常のなかで、文学を読む時間がようやく取れるようになったかな、と思うこのごろである。書いておきたい論文のテーマなどもあるのだが、いそぐことではないので、今のところは、じっくりと本を読む時間をすごしたい。

文学を読む時間を持てる生活というのは、現代においては、ある意味で贅沢な環境かもしれない。強いて忙しくすることもない。時間のとれるかぎりは、ゆっくりと読書に時間をつかいたいものである。

読書の時間があってこその人文学だとも思う次第である。