『わろてんか』あれこれ「わろたらアカン」2017-10-08

2017-10-08 當山日出夫(とうやまひでお)

わろてんか
https://www.nhk.or.jp/warotenka/index.html

第1週「わろたらアカン」
https://www.nhk.or.jp/warotenka/story/01.html

『ひよっこ』に引き続き、『わろてんか』を見ている。思うことなど、いささか。

このドラマは、笑いをテーマにしているらしい。それはいいのだが、それについて思うことを書いてみておく。三点ほどある。

第一には、人は、なにも楽しい時にのみ笑うのではない。悲しい時、絶望の極みという時にも、笑う。いや、笑わざるをえない。そのような、人間の笑いの向こう側にある、悲哀とでもいうべきものを、どこまで描くのだろうか。

ただ、人を楽しくさせるための笑いだけが笑いではないはずである。

第二には、風刺とのかかわり。笑いは、場合によっては、政治権力への風刺をともなう。このような笑いをこのドラマでは、どうあつかうのだろうか。権力批判、風刺としての笑い、これもまた笑いというものがもっている一つの側面だと思う。

強いていえば、風刺の精神を無くしてしまった笑いなど、面白くもなんともない。ただ、おかしいだけのことである。それだけの笑いであってはつまらないと思うのだが、どうだろうか。

第三には、笑い、つまり、芸能の世界の近代、前近代というものは、差別の問題と密接にかかわる。ここを、このドラマは、どのように描くことになるのだろうか。

芸人というのは、被差別民であったということは、歴史として、つい近年まであったことは知られていることだろう。だが、近年のメディアの変化のなかで、タレント、お笑い芸人ということで、そのような側面は、消えてなくなってきている。それはそれとしておいても、ドラマの明治時代では、まだまだ、差別ということがあった時代であろう。

例えば、『伊豆の踊子』(川端康成)など、思い起こしてみても、その中の旅芸人の一行は、差別の対象として描かれている。だからこそ、身分の違う高校生との淡い交流が、抒情豊かに描かれることになる。

以上の三点が、笑いをドラマのテーマとすることで、ちょっと気になっていることである。これは、杞憂であろうか。あるいは、NHKとしては、上記のようなことは、分かったうえで、人を楽しませるものとしての笑いということに限定して描くことになるのだろうか。

このようなこと、次週の展開のなかでどのようなるか、見ていきたいと思っている。

追記 2017-10-15
この続きは、
やまもも書斎記 2017年10月15日
『わろてんか』あれこれ「父の笑い」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/10/15/8705792