時計あれこれ2017-11-09

2017-11-09 當山日出夫(とうやまひでお)

時計の話をつづける。

やまもも書斎記 2017年11月6日
時計を買った
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/11/06/8721804

学生の時、それまでつかっていたゼンマイ式の時計が故障して、クオーツ時計に買い換えた。大学の生協にお店を出している時計店で買った。その時、たまたまあったので買った時計は、秒針の無いタイプのものであった。

普通の時計、アナログ時計は、三つの針がある。時、分、秒、をそれぞれにしめす。そのうち、秒針がついていないものをえらんだ。

今は、このようなタイプの時計は売っていないか、あるいは、あっても希なようである。

実際に使ってみての感じとしては、これで充分というものであったのを憶えている。実生活で時刻を知る必要があるとき、秒針までは必要ない。分までだいたいわかれば充分である。

その時計も故障して、次に買い換えてからは、秒針のある普通のタイプのものをつかっている。秒針がついていると、秒単位で時間がわかるので、何か、時間に縛られているような感触がどことなくある。また、秒針がついていると、秒単位で、時刻を合わせたくなる。遅れていたり、進んでいたりすると、気になる。

いったい人間の通常の生活が、秒単位で刻まれる必要があるのだろうか。特殊な職業、例えば鉄道関係の仕事ならば秒単位の時間の管理が必要になるだろう。近年の私の経験でいえば、学会、研究会などの司会をするとき、時間を厳格に計る必要があるので、この時は秒針があった方がいい。だが、普通の人間の普通の生活にとっては、無くてもさしさわりは無いものである。いや、むしろ、無い方が、いっそのこと自由な感じがするぐらいである。

それから、その時計店の主人に教えてもらったこととして、時計の時刻の合わせ方がある。クオーツの場合は、時計の針を、時間を少し進めてからもどして時刻をあわせる。理由は知らないが、そのようにして合わせるものらしい。その後、WEBなどで見てみると、時計の時刻の合わせ方としては、これであっているようである。

ともあれ、電波時計になれば、秒単位で精確に時刻を自動的にあわせてくれる。便利になったものである。

そういえば、昔の時計の電池の寿命はだいたい一年ぐらいだった。今は、もっともつ。その昔、クオーツ時計を使い始めたとき、学生のときであるが、年に一度、自分の誕生日を目安に時計の電池を交換していたものである。だから、その当時は、時計の電池切れということを経験していない。それも、近年の時計の電池の寿命が長くなったので、年に一度の交換ということがなくなった。何年かおきに電池の交換で時計屋さんにいくことになった。

これもソーラー時計になれば、電池の交換も必要がない。これも、便利になったものである。

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