『彼岸過迄』夏目漱石2017-11-18

2017-11-18 當山日出夫(とうやまひでお)

夏目漱石.『彼岸過迄』(定本漱石全集).岩波書店.2017
https://www.iwanami.co.jp/book/b287531.html

『彼岸過迄』の単行本は、大正元年(1912)である。

いわゆる修善寺の大患の後、後期の漱石の長編作品の最初になる。これまで、なんとなく読んではきた本である。だが、今回、順番に漱石の作品を読んでいってみようと思って、ある意味、この作品が一番面白いとも感じる。いや、漱石を理解するうえで、もっとも重要な位置をしめる作品、といった方がいいだろうか。

後期の漱石の作品は、近代社会における個人の生き方の問題を追及している。その作品群のなかにあって、この『彼岸過迄』に、その後期の漱石が書こうとしたことの、すべてが凝縮されているような気がする。

作品としてはまとまっていない。連作短篇という形で、ある程度の長さの長編を書こうとして、まとまりなく、なんとなく終わりになってしまったという感じの作品である。だが、これも、『行人』と同様、書いているうちに、どうしても、近代社会における個人という問題を避けてとおれず、そのテーマについての叙述にのめり込んでしまった、そんなふうに読める。だから、書いてあることが、ある意味でかなり露骨な書き方になっている。小説のストーリーとして語る……『心』はそれに成功していることになるだろうが……ことには、失敗している。が、それだけに、非常に率直に作者(漱石)が、思っていること、感じていることを、語っていると読める。

このような小説を書いた漱石にとって、近代社会における個人とは何であったのだろうか。また、修善寺の大患を経て、何を考えたのだろうか。

近代文学を専門にするのではないという立場の私としては、このあたりのことを考えながら、その他の、短篇、随筆、日記、書簡など……これらの多くは、主要なものが文庫本で読めるようになっている……読んでみようかと思っている。

それから、自分の目できちんと読んでおきたいと思っているのは、漢詩文。これは、今の「定本漱石全集」版の、その巻が出てからのことにするつもり。

『漱石詩注』(吉川幸次郎)など、目をとおしてはみているが、どうも、今ひとつよくわかならないところがある。最新の注釈のついたテキストで読んでおきたいと思っている。

もう隠居のときである。楽しみとしての読書、そのなかで、漱石の作品を読んでいくつもりである。