『萩原朔太郎詩集』(岩波文庫)2017-12-18

2017-12-18 當山日出夫(とうやまひでお)

三好達治(選).『萩原朔太郎詩集』(岩波文庫).岩波書店.1952(1981.改版)
https://www.iwanami.co.jp/book/b249251.html

北原白秋の詩集の次に手にしてみたのは、萩原朔太郎。ともに、高校生のころに親しんだ詩人である。

自分で詩を書こうとは思わなかったが、しかし、詩というものを読んで、なにがしか感じるところはあった。その当時の文庫本とか、あるいは、「日本の詩歌」(中央公論社)などで読んだものである。

私は、近代の詩の歴史にはまったく不案内であるのだが……これは、日本語の歴史的研究という立場にいる人間として、やはり問題があるのだと思う。通常の研究などで、詩をあつかうことはまずないのであるが、近代の日本語の歴史、また、ことばというものに何を感じるか、という点から考えて、詩がわかるということは、重要な意味があると思っている。

萩原朔太郎であるが……近代詩に不案内な私の読んだ範囲でいっても、日本の近代詩のピークにあるといっていいのではないだろうか。いわゆる「近代の憂愁」とでもいうべきものがみなぎっている。全編これ詩である。

なかでいいと思うのは、『月に吠える』と、それから、『郷土望景詩』であろうか。再読するのは数十年ぶりになるかもしれない。それでも、「竹」など読むと、昔の高校生のころの思い出がよみがえる。たしか、学校の教科書にも載っていた。文庫本の詩集など買って読んだのは、それからだったろうか。

それから、晩年の『郷土望景詩』の文語調の硬質な叙情性にひかれる。近代社会の中に生きる孤独な人間の魂の声が聞こえてくるようである。

近代日本語の歴史、それは、平明な論理的な文章を構築していった歴史ととらえることもできるだろう。歴史的な日本語史研究では、このような側面を重視することになる。が、その一方で、萩原朔太郎のような凛烈な叙情性をも表現しうるものにもなっていった。

萩原朔太郎が活躍した時代は、大正時代がメインになる。その時代の日本の小説は、漱石や鴎外の晩年であり、芥川竜之介などが活躍をはじめ、また、白樺派の作家の登場してきた時代でもある。この時代、平明な論理性の文章と併行して、萩原朔太郎のような極めて繊細なそして強固な叙情性のある詩も書かれていた。

大正時代といってみたが、広義にとらえるならば、日露戦争が終わってから、昭和戦前の日中戦争までの時代、このように考えてもいいかもしれない。この時代の日本の文学、それを、散文・小説に限らず、詩歌・短歌・俳句などをふくめて、総合的に考えてみる必要があるように思っている。

ともあれ、萩原朔太郎の詩は、近代的叙情性……それは、まさに近代という時代の生きた人間のきしみのようなものかもしれないが……今、21世紀になっても、なお読み継がれる価値のあるものである。

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