『わろてんか』あれこれ「泣いたらあかん」2018-01-14

2018-01-14 當山日出夫(とうやまひでお)

『わろてんか』第15週「泣いたらあかん」
https://www.nhk.or.jp/warotenka/story/15.html

前回は、
やまもも書斎記 2018年1月7日
『わろてんか』あれこれ「みんなの夢」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/07/8764502

どうやらこのドラマは、スピードでいくようだ。これまでのことでも、大阪での米問屋でのこととか、寄席を始めてからのこと、安来節の公演、それから、団吾師匠と団真とお夕のエピソード……これらが、基本的に一~二週で終わって、次の話題にうつっていく。よくもわるくも、過去のことが伏線となって、後の展開に影響することがない。米問屋のごりょんさんも、あっさりとアメリカに行ってしまったきりである。

この週は、伊能栞とその母親の物語。関東大震災を背景にして、親子の物語が描かれていた。ここで出てきたのは、記憶喪失のこと。母(志乃)は、地震の時に怪我をして、記憶を失う。それが、キースとともに大阪にやってくる。伊能栞の母親であった。大阪で記憶がもどった志乃は、親子であることを否定しようとして、東京に帰ろうとする。一方、伊能栞の方も、母親に心をひらこうとしない……このようなドラマ、前作『ひよっこ』であれば、ドラマの全体をかけてじっくりと描いたところである。それを、この『わろてんか』では、一週間で終わらせている。土曜日の8時10分ごろには、めでたくおさまっている。

これはこれとして、このドラマの方針として、あってよいと思って見ている。 記憶喪失のことが、『ひよっこ』を見ていた印象からすると、軽く描きすぎではないかという気もする。また、安来節の少女たちが出なくなってしまったのは、ちょっと残念な気もするが、元気でやっているということなのであろう。

ところで、この週でひかっていたのは、志乃。東京で芸者をしていたが、子供を、その将来のことを思ってであろう、伊能の家にひきわたした。記憶がもどってからも、そのことを否定して東京にかえろうとする。このあたりの心情の機微を、銀粉蝶がじつにうまく演じていた。

次週は、ラジオ放送をめぐっての一騒動ということになるようだ。てんの経営者としての判断、あるいは藤吉への内助の功がどのように描かれるか楽しみに見ることにしよう。

追記 2018-01-21
この続きは、
やまもも書斎記 2018年1月21日
『わろてんか』あれこれ「笑いの新時代」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/21/8773529