梅の冬芽2018-01-11

2018-01-11 當山日出夫(とうやまひでお)

いつもは、花の写真は水曜日なのだが、昨日はNHKの『平成細雪』のことについて書いたので、今日になった。

我が家には梅の木が一本ある。かなりの老木である。花を咲かせるのは、かなり遅い。その梅の木の冬の時の様子を写してみた。

梅という花……『万葉集』の昔から、歌に歌われてきた花である。それが、桜より多いというのは、知られたことであろう。ちなみに、『万葉集』で最も多く歌われている花は、萩であるとのこと。(このあたり、古典文学についての知識として知っていることである。実際に自分で『万葉集』を読んで数えたということではない。)

写真は、すべてRAWで撮ったものを処理してある。といってもたいしたことはしていない。ホワイトバランスの調整ぐらいである。かなりの枚数を写してみたが、気にいったものはさほど多くはない。

露出はオートであるが、ピントはマニュアルである。接写の場合、オートフォーカスよりも、手動の方が簡単に自分の意図した箇所にピントが合わせられる。もちろん三脚をつかっている。

これからさらに寒くなって、温かくなり始めたころに梅の花が咲く。この梅の木を観察していこうと思っている。

梅

梅

梅


梅

Nikon D7500
AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR

『武揚伝 決定版』佐々木譲2018-01-12

2018-01-12 當山日出夫(とうやまひでお)

佐々木譲.『武揚伝 決定版』(上・中・下)(中公文庫).中央公論新社.2017 (中央公論新社.2015)

http://www.chuko.co.jp/bunko/2017/11/206488.html

http://www.chuko.co.jp/bunko/2017/11/206489.html
http://www.chuko.co.jp/bunko/2017/11/206490.html

やまもも書斎記 2017年12月21日
『武揚伝 決定版』(上)佐々木譲
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/21/8752206

やまもも書斎記 2017年12月25日
『武揚伝 決定版』(中)佐々木譲
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/25/8754718

やまもも書斎記 2018年1月5日
『武揚伝 決定版』(下)佐々木譲
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/05/8762607

三巻を読み終わってのまとめて思ったことなど、いささか。三点ほど書いてみる。

第一に、万国公法である。今日でいう国際法、これにのっとるかたちで、榎本武揚はたたかっている。交戦団体としての、外国にみとめられる存在であること。言い換えるならば、(このような表現はこの小説では言っていないが)ゲリラではない、ということである。京都の政権に対して、奥羽越列藩同盟は独立した主権をもつものとして、あつかわれている。

そのため、その当時の列強諸外国も、戊辰戦争については、局外中立の立場をとった。そのことを背景にして、榎本武揚の戦いもあった。

戊辰戦争という内戦を、国際的な視点から見る、ということになる。もし、戊辰戦争のとき、イギリスやフランスなどが、それに乗じて内戦に加わっていたならば、日本の明治維新はなかったかもしれない。それを避けたという意味においても、武揚の戦い方の意義があったことになる。

この小説を読んで感じたことであるが……独立した組織であり、かつ、武力をそなえているならば、それは、国際法上の独立国とみなしうる……これは、『沈黙の艦隊』の論理である。さもありなん、下巻の解説(忍澤勉)で、このことに言及してあった。

第二に、自由と平等の共和国である。榎本武揚は、蝦夷ヶ島(後の北海道になる)に、京都政権とは独立した自治の国を建設しようとした。それは、自由と平等を基本理念とする、共和制の国である。

これは、その後、明治維新の後の日本……立憲君主制による中央集権国家の樹立……と対比して見るとき、あり得たかも知れない、日本の近代のもうひとつの姿ということになる。明治維新後の日本の国家の歩みを相対化して見る視点がここにはある。

第三に、この小説は戊辰戦争までで終わっている。だが、榎本武揚は、その後、明治政府のもとでも活躍している。開拓使出仕、ロシア駐在全権大使、清国駐在全権大使、逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣、などを歴任している(下巻、p.526)

このことについて、著者(佐々木譲)は次のように記している。

「明治政府の手に負えぬ事業が出てきたとき、そのつど武揚がプロジェクトの現場と実務の責任者を引き受けたということである。」(p.526)

戊辰戦争後の武揚の事跡については、一ページほどの記述があるにすぎないが、近代国家としての明治の日本がなりたっていくために、なくてはならない人物であったことが理解される。

このような人物について、その若い時……戊辰戦争のとき、武揚は三十二才であった……のことで、この小説は終わらせている。もし、その後の武揚の活動を描写していくならば、そのまま、明治の日本の近代化の歴史に重なるものとして描かれることになるであろう。

以上の三点ぐらいが、『武揚伝 決定版』を読んで思ったことなどである。

中央公論新社が、このときにこの本を出したというのは、明治150年ということで、それに関連する本をということなのかもしれない。が、そのようなこととがあるとしても、150年前の明治維新を考えるとき、戊辰戦争で負けた側、幕府側に、武揚のような人間がいたということは、興味深い。えてして歴史は勝った側から描かれがちである。この意味において、負けた側の立場からの歴史小説ということで、この作品の価値がある。また、明治維新とは何であったかを、改めて考えるきっかけになる作品であると思う。

「決定版」の後書きを見ると、新しく出てきた史料などによって、かなり榎本武揚の評価は変わってきているらしい。明治維新の歴史も、150年を経て、新たな段階になってきたということである。

『現代秀歌』永田和宏2018-01-13

2018-01-13 當山日出夫(とうやまひでお)

永田和宏.『現代秀歌』(岩波新書).岩波書店.2014
https://www.iwanami.co.jp/book/b226294.html

たまたまテレビをつけたら、歌会始の中継だった(2018年1月12日)。「歌」というものについて、考えるとき、はるか古代の万葉の時代から、今日にいたるまでの、様々な歴史がある。純粋に文学として享受する方向もあるだろうし、(私がかつて学んだような)折口信夫のように民俗学的な方向から考えるアプローチもある。

歌会始には、新年にあたり、天皇が、一般から歌を募集し、そしてまた自らも歌を詠む……ここには、千年以上にわたる、この国における、天皇と歌との関係がひきつがれていることを見てとれる。

しかし、その一方で、歌、特に短歌は、近代になってから、新たな文学の領域を開拓していった、文学の形式の一つであるともいえよう。この意味での現代における短歌のあり方を考えるうえで、この本は非常に参考になる。

すでに、この本については、各方面からいろんな評価がなされているだろう。ここでは、私が読んで一番印象に残った歌について書いておきたい。

「ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば聲も立てなくくづをれて伏す」

宮柊二、『山西省』(昭和24年)

おそらく近代になってから、戦争において、いったどれだけの歌が詠まれたことであろうか。おそらくは、日清・日露の戦争の時代から、日中戦争、太平洋戦争の時代にいたるまで、様々な立場で、様々な内容の歌が詠まれてきたにちがいない。

そのなかには、戦意高揚の歌もあったろう。あるいは、戦死を嘆く歌もあったにちがいない。あるいは、死地に赴く身の上を歌に託した軍人・兵士もいただろう。たぶん、それらの大部分の歌は、文学とは認められないできている。今の時代、戦意を鼓舞するような歌を、文学とは認めることはない。

私は、ここでそれらの大量の歌を文学と認めるべきだといいたのではない。文学以前のものとして、そのような歌が詠まれてきたことを率直に認めることが重要だと思うのである。歌というものが、為政者にとっても、また、庶民・兵士にとっても、戦争にあたっての様々な思いを託すことのできる文学の形式であったこと、そのことの歴史的な意味について思ってみる必要がある。

太平洋戦争の開戦を決定した御前会議において、昭和天皇が、明治天皇の歌を読み上げたことは、広く知られていることである。明治天皇も、日常的に歌を詠んでいた。昭憲皇太后も歌を残している。

そのような歴史的背景があるものとして近代の歌を考えてみたとき、宮柊二の戦時中の兵士としての出来事を詠んだ歌は、改めて意味のあるものとして現れてくることになると感じる。

古代から連綿と続く歌の歴史を考えてみるときに、近代・現代になって、歌人がそれぞれに歌の領域をさぐってきた。私は、狭義の文学ではなく、広義に文学以前の文学までふくめて歌というものを考える視点こそ、近代・現代の歌のもつ意味を把握するうえで重要になると考えている。この意味において、折口信夫のような民俗学的な歌の理解は、再考察されるべきであると思う。

歌会始のような伝統的儀礼における歌、それを考えると同時に、近現代における文学としての短歌、これらを総合的に見ることが求められる。

『現代秀歌』の著者、永田裕和は、歌会始の選者のひとりでもある。現代を代表する歌人が歌会始の選者をつとめることの歴史的意味というものについて、少し考えてみたりしている。

『わろてんか』あれこれ「泣いたらあかん」2018-01-14

2018-01-14 當山日出夫(とうやまひでお)

『わろてんか』第15週「泣いたらあかん」
https://www.nhk.or.jp/warotenka/story/15.html

前回は、
やまもも書斎記 2018年1月7日
『わろてんか』あれこれ「みんなの夢」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/07/8764502

どうやらこのドラマは、スピードでいくようだ。これまでのことでも、大阪での米問屋でのこととか、寄席を始めてからのこと、安来節の公演、それから、団吾師匠と団真とお夕のエピソード……これらが、基本的に一~二週で終わって、次の話題にうつっていく。よくもわるくも、過去のことが伏線となって、後の展開に影響することがない。米問屋のごりょんさんも、あっさりとアメリカに行ってしまったきりである。

この週は、伊能栞とその母親の物語。関東大震災を背景にして、親子の物語が描かれていた。ここで出てきたのは、記憶喪失のこと。母(志乃)は、地震の時に怪我をして、記憶を失う。それが、キースとともに大阪にやってくる。伊能栞の母親であった。大阪で記憶がもどった志乃は、親子であることを否定しようとして、東京に帰ろうとする。一方、伊能栞の方も、母親に心をひらこうとしない……このようなドラマ、前作『ひよっこ』であれば、ドラマの全体をかけてじっくりと描いたところである。それを、この『わろてんか』では、一週間で終わらせている。土曜日の8時10分ごろには、めでたくおさまっている。

これはこれとして、このドラマの方針として、あってよいと思って見ている。 記憶喪失のことが、『ひよっこ』を見ていた印象からすると、軽く描きすぎではないかという気もする。また、安来節の少女たちが出なくなってしまったのは、ちょっと残念な気もするが、元気でやっているということなのであろう。

ところで、この週でひかっていたのは、志乃。東京で芸者をしていたが、子供を、その将来のことを思ってであろう、伊能の家にひきわたした。記憶がもどってからも、そのことを否定して東京にかえろうとする。このあたりの心情の機微を、銀粉蝶がじつにうまく演じていた。

次週は、ラジオ放送をめぐっての一騒動ということになるようだ。てんの経営者としての判断、あるいは藤吉への内助の功がどのように描かれるか楽しみに見ることにしよう。

追記 2018-01-21
この続きは、
やまもも書斎記 2018年1月21日
『わろてんか』あれこれ「笑いの新時代」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/21/8773529

『わろてんか』における方言2018-01-15

2018-01-15 當山日出夫(とうやまひでお)

このドラマの話しの運びからいって、伊能栞の母親は、もう登場しないだろうと思われるので、ここで書いておくことにする。

母親(志乃)は、東京下町ことばを話していた。東京で地震があったことを知った伊能栞は、向島のあたりのことを心配していた場面があった。たぶん、向島は母親(志乃)が住んでいたあたりになるのだろう。向島は下町である。

東京の下町で芸者をしていた母親が産んだ子供が栞である。

だが、その伊能栞は、大阪でビジネスをしていながら、東京ことば(山の手ことば)で話している。東京下町ことばは、うかがえない。はたして、伊能栞の母方言はいったいどのことばであるのだろうか。中学まで母親と一緒に暮らしていたとするのならば、東京下町ことばを話していてもおかしくはないのだが。

これは、活動写真という新しい娯楽ビジネスを手がける近代的なビジネスマンとしての伊能栞には、東京のことばでも、山の手ことばの方がふさわしいということである。言い換えるならば、東京下町ことばは似合わない。伊能栞の生いたちはともかくとして、近代的ビジネスマンには、大阪での仕事の場面でも、東京(山の手)のことばがふさわしいということになる。

大阪で商売をするなら、郷に入れば郷に従えで、大阪ことばを話していてもいいようなものであるが、そうはなっていない。近代的なビジネスを表すものとしては、大阪ことばはふさわしくないのである。伊能栞が無理に大阪ことばをつかう場面は、ぎこちなさがともなっている。

それから、てんのことばであるが、これは一貫して京都ことばになっている。これも、大阪で商売をするからといって、大阪ことばになってはいない。もっとざっくりというならば、大阪のおばちゃんのことばにはなっていない。

テレビドラマで、登場人物がどの方言を話しているかという設定は、そのドラマの意図にしたがっている。この観点からは、伊能栞は近代的なビジネスマンとしてこれからも出てくることになるのであろうし、てんは京都育ちということを背景にしての、藤吉をささえる内助の功を描くことになるのだと思って見ている。

『西郷どん』あれこれ「立派なお侍」2018-01-16

2018-01-16 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年1月14日、第2回「立派なお侍」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/02/

前回は、
やまもも書斎記 2018年1月9日
『西郷どん』あれこれ「薩摩のやっせんぼ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/09/8765996

この週のタイトルは「立派なお侍」である。これは、この後の歴史の展開を考えると、かなり意味があるように思える。

明治維新になって、廃藩置県を断行できたのは西郷隆盛がいたから、というのが、まあ常識的な日本史の知識。つまり、西郷隆盛は、侍の時代……徳川封建制……を、終わらせた男なのである。

その西郷隆盛が、若い時には、「武士」であることに自覚的である。武士とはいかなる存在か、また、領民に対してどのように接するべきか、自分の仕事のなかで思い、なやみ、苦闘するというのが、この週の話し。

また、回想場面でも出ていたが、島津斉彬が、新しい時代の武士の姿を予見していた。はたして、島津斉彬は、武士の時代が終わりになることまで考えていたのだろうか。

このドラマ、おそらくは、武士とは何であるのかを問いかける展開でいくのかもしれないと思って見ていた。もし、最後、西南戦争まで描くとすると、西郷隆盛は、武士として死ぬことになるのかもしれない。

言われることであるが、西郷隆盛は、近代と反近代を、矛盾することでありながら、その一身のうちにふくんでいた人物である。その反近代を言い換えるならば、武士としてのあり方ということになるのだろう。

ところで、このドラマを見ていると(まだ二回目であるが)、薩摩の国に対するパトリオティズム(愛郷心)が、非常に強く描かれている。桜島の風景がじつに印象的である。また、薩摩の郷中の暮らしも、どこかしら牧歌的でもある。

そのなかにあって、ただひとり、島津斉彬だけが、日本の危機を見ている。西欧列強諸国が日本にせまりつつあることを、実感している。ここにあるのは、おそらくは、新しい感覚としてのナショナリズムといっていいだろう。私は、ここでナショナリズムを否定的な意味で使おうとは思わない。19世紀半ば、幕末の日本にあって、日本という国と諸外国を広く見渡す視野をもって、日本の国のゆくすえを考えているという程度の意味である。

薩摩の土地に対するパトリオティズム(愛郷心)、主君・島津斉彬に対する忠誠心、それから、明治維新をなしとげ、近代国家を目指し確立する軸としてのナショナリズム……これらの要素をこのドラマは、これからどのように描くことになるのか、考えながら見ていきたいと思っている。

ただ、ちょっと気になったこととしては、このドラマにおいても、農民=米作という図式であった。近世期における百姓とは、もっと多様性のある存在であったというのが、今日の歴史学の知見だろうと思うのだが、このドラマでは、かなりステレオタイプの農民が描かれていた。

農民の描き方もステレオタイプであるならば、武士の描き方も、ある意味でステレオタイプである。これはこれとして、このドラマの作り方なのであると思う。だが、武士の時代を終わらせた西郷隆盛を描くならば、ここは、もっと深く武士とは何であるのか、問いかけるような展開があってもいいように思っている。

追記 2018-01-23
この続きは、
やまもも書斎記 2018年1月23日
『西郷どん』あれこれ「子どもは国の宝」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/23/8774998

NHK『平成細雪』第二話2018-01-17

2018-01-17 當山日出夫(とうやまひでお)

今週も『平成細雪』があったので、水曜日はこちらの話しにする。花の写真は、明日。

前回は、
やまもも書斎記 2018年1月10日
NHK『平成細雪』第一話
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/10/8766638

平成細雪
http://www4.nhk.or.jp/P4696/

このドラマ、雪子の見合いの場面が、まるでコメディである。本人たちが大真面目であればあるほど、傍目には滑稽にみえる。そのようなシーンを、うまくこのドラマは描いていたと思う。

まあ、このドラマは4回あるようだから、毎回、見合いがあって、最後の相手とめでたくということになるのだろう。原作『細雪』(谷崎潤一郎)をなぞっているドラマとしては、そうなると思って見ている。

雪子の伊藤歩は、あいかわらずどこかとぼけた感じがあって、面白かった。

第二話で、光っていたのは中村ゆりである。テレビは字幕表示で見ているのだが(録画)、台詞の文字は三色しかない。だから、四女の妙子(中村ゆり)には色がついていない。これは、惜しい気がする。

洪水があって、それを助けに来てくれたことで、カメラマンの板倉と接近する。これは原作『細雪』によっている。が、このシーンが意外と早く設定してあった。これは、啓ぼんとの関係のもつれを、これから描くために、このところに脚本が設定したのだろう。

ところで、気になるのは、(前回も書いたが)花見のシーンは無いのだろうか。『細雪』といえば思い出すのが、京都での花見の場面。『平成細雪』ならではの、京都の花見のシーンが、是非とも欲しいと思っている。

また、ちょっと疑問なのは、やはりカメラのこと。板倉はライカをつかっていた。しかし、この当時のフイルムカメラで、室内でフラッシュ無しで撮影するのは無理である。

それから、台風の時に助けに行った後の台詞。「現像の途中だったので」という意味のことを言っていたが、これはどうだろうか。フィルムの現像を途中でやめてしまうと(そのまま放置すると)、そのフィルムを全部ダメにしてしまう。途中で止めることはできない。待っても数分のことである。フィルムの現像は、温度と時間を厳格に管理する必要がある。

板倉がほしがったカメラ(二眼レフ)、たぶんローライだと思うのだが、テレビの画面で名前の部分がかくしてあった。ライカはそのマークが見えていたのに、どうしてかなと思っていたのだが、最後の場面でなるほどと納得がいった。

写真を小道具につかった、妙子と板倉の恋のシーンはうまい。

次回の雪子の見合いの相手は、どんなふうに登場することになるのだろうか。次回も楽しみに見ることにしよう。

追記 2018-01-24
この続きは、
やまもも書斎記 2018年1月24日
NHK『平成細雪』第三話
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/24/8775555

冬の日のニシキギ2018-01-18

2018-01-18 當山日出夫(とうやまひでお)

ニシキギについては、以前に掲載したことがある。

やまもも書斎記 2017年11月15日
ニシキギ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/11/15/8727789

今日は、その木の冬の日の姿である。

身の周りの草花などを写真に撮るようになって、その季節の移り変わりを観察するようになった。花が咲いている時だけではなく、まだ咲く前の段階、あるいは、花が散ってからの姿を見るようになった。

図鑑によるとニシキギは、紅葉が美しい樹木としてある。だが、我が家のニシキギは、きれいに紅葉することはないようだ。あるいは、これは、見落としていただけなのかもしれない。この木については、これからも折にふれて観察していこうと思っている。

ニシキギが、秋に花をつけていたのが、枯れて残っている様子である。また、枝から板状のものが出ている。これによってニシキギであると判定できることになる。

使っているレンズは、マイクロの85ミリ。DX用である。去年、このレンズを買ってから、これで撮影することが非常に多くなっている。草花のクローズアップには、ちょうどいい。

RAWで残した画像を現像処理して、バッチ処理した。特に凝ったことはしていない。ホワイトバランスの設定とピクチャーコントロール(この場合は「風景」を選んでみた)の設定である。ブログ掲載用のJPEG画像は、RAWから直接変換したものである。

ニシキギ

ニシキギ


ニシキギ

ニシキギ

Nikon D7500
AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR

『湖畔荘』ケイト・モートン2018-01-19

當山日出夫(とうやまひでお)

ケイト・モートン.青木純子(訳).『湖畔荘』(上・下).東京創元社.2017
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488010713
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488010720

今年の週刊文春のミステリベスト(海外)では、三位にはいっている。出た時に買ってはおいたのだが、積んであった。読んでおくべきと思って読んでみた。(ケイト・モートンは、『忘れられた花園』の時から知っている。)

すでにこの本については、いろいろ語られているだろうから、私なりに思ったことなど、いささか。

第一には、このような物語がミステリの世界でなりたっている、特に英国流のミステリの魅力である(作者はオーストラリアの人であるが、小説の舞台は英国に設定してある)。特に波瀾万丈の大活劇があるわけでもない。また、大胆なトリックが仕掛けてあるわけではない。

ある日、行方不明になった子供。その子供は、いったどうなったのか。この謎をめぐって、三つの時間軸で物語は進行する。そして、それが最後に見事に決着を見る。

このような物語としての厚みのある作品が、あまり日本のミステリにはないように思うが、どうであろうか。ミステリの背後にある、幅広い文学的な伝統の違いといってしまえばそれまでかもしれない。

第二には、この作品の主なモチーフになっているのが、第一次世界大戦。この戦争に、日本もかかわっているのだが、時代は大正時代。むしろ、国内の歴史としては、大正デモクラシーの時代として語られることが多い。平和な時代という印象である。しかし、この時代、ヨーロッパでは、戦争の時代であった。その戦争の記憶が、第二次大戦を経て後、21世紀の初頭にまで、人びとの生活に影をおよぼしている。

この小説を読んで、第一次世界大戦という戦争を直に体験したのがヨーロッパの人びとであることに、思いを新たにした次第である。

ざっと以上の二点が、この作品を読んで感じるところである。

ケイト・モートンは、その作品は出たときに買ってあるのだが、まだ読まずにしまってあるものがある。探し出して読んでみなければと思っている。ミステリを読んで、読書の楽しみを感じさせてくれる。これからの読書の楽しみの一つである。

『明治天皇』(一)ドナルド・キーン2018-01-20

2018-01-20 當山日出夫(とうやまひでお)

ドナルド・キーン.角地幸男(訳).『明治天皇』(一)(新潮文庫).新潮社.2007 (新潮社.2001)
http://www.shinchosha.co.jp/book/131351/

以前に新潮社から『明治天皇』(上・下)として出ていたものを、文庫版にして四巻にしたもの。順番に読んでいっている。まずは、第一冊目からである。

第一巻は、明治天皇の生いたちから、明治維新、東京遷都のころまでをあつかっている。読んでみて思ったこととしては、まさにこの本は、書かれるべくして、人を得て書かれた本であるという印象である。いうまでもなく、著者(ドナルド・キーン)は、アメリカでの日本文学研究の第一人者。その著者が、明治天皇という、日本近代の天皇の評伝を書いている。

読んで感じるところは、実に平明で、バランスのとれた、そして、史実にのっとった記述になっているということである。

もとは英語で書かれた本を、日本語に訳してある。だが、その執筆(翻訳)にあたっては、日本で刊行された史料によっている。この本で、引用してある史料については、原文に依拠して記載してある。(英語で書かれたものを、日本語の史料にもとづいて、その箇所をあつかってある、ということである。原文が漢文のものは書き下しで示してその後に現代語訳の説明があるので、一般にわかりやすい記述になっている。つまり、英語を介した日本語にはしていない。)

特殊な史料によっているということはない。基本的に公刊されている史料、記録類によっている。この本の記述は、基本的に『明治天皇紀』にしたがっているとみていいだろう。また、そこに描き出される明治天皇のイメージも、きわだって特殊ということではない。その時代の、その史料によって、自ずから描き出される明治天皇像である。

各章ごとに詳細な注がついている。史料の典拠がしめしてあり、異説・異論のあるものは、その旨が書いてある。

第一巻は、父である孝明天皇のことからはじまる。明治天皇の出生から、明治になって天皇が東京に行くまでのことが書かれている。幕末史であり、主に京都の宮廷から見た明治維新史でもある。それが、ほどよい密度で、典拠とすべき史料に依拠して記述してある。簡略にすぎることもないし、細かすぎて読むのに苦労するということもない。極端に保守的でもないし、また、逆に反体制的という立場でもない。幕末から明治維新にかけての時代背景のもとに、京都の宮廷、明治宮廷がいかに対応してきたか、冷静な筆致で描かれている。基本は、編年式に年代を追って記述してあるが、テーマによっては紀伝式に事柄の筋をたどってある。

読みながら、かなりの付箋をつけてしまったのだが、その中のいくつかを見ておくことにする。二つばかりについていささか。

第一は、五箇条の御誓文である。明治維新になって、新政府の方針を示した指針として、私などの世代であれば、学校の歴史の教科書に載っていたのを覚えた記憶がある。この五箇条の御誓文は、まさに「御誓文」という名がしめしているとおり、神道の形式にのっとっている。

この意味では、明治という新しい時代の幕開けを象徴する史料(出来事)でありながら、その復古的な面(王政復古によって明治政府は誕生した)も、同時に持っていることになる。

ここからはさらに、なぜ「御誓文」という神道による形式で、明治新政府の方針が公にされることになったのか、その歴史的、文化的な意味を考えることが必要になってくるだろう。この『明治天皇』では、そこのところまでの考察はなされていない。だが、神道によっていることの指摘はきちんとしてある。

第二は、歌である。明治天皇は歌人でもあった。その歌について、著者(ドナルド・キーン)は、次のように記している。

「これらの和歌には、詠み手の感情や個性がほとんどうかがわれない、いや皆無と言ってもいい。天皇と皇后は、過去千年間の無数の宮廷歌人とまったく同じ作法で春のおとずれの喜びを歌っている。言い回しや言葉の影像に独創を取り入れようという意図などまったく無い。韻律的に正確なこれらの和歌を詠むことは、伝統的な宮廷文化に精通していることを示すにとどまった。」(p.456)

明治になるまで……極言するならば正岡子規が登場するまで……宮廷和歌とは、このようなものであったし、それでよかったのである。これはこれで、歌の伝統である。むしろ、このような、ある意味でのマンネリは評価されるべき面でもある。

以上の二点ぐらいが、書き留めておきたいと思ったことである。

この第一巻から読み取れる歴史としては、明治維新、王政復古ということは、京都の宮廷から望んだことではなく、幕末の時代、倒幕という時の勢いにのせられて、そうなってしまった、ということらしい。孝明天皇は、攘夷主義者であったし、公武合体の立場であった。それが急死してしまい(その死は謎につつまれているようだが)、幼い明治天皇の時代になって、大政奉還、明治維新ということが起こってしまった、このように、京都の宮廷から見ればなるのだろうか。

御誓文という神道の形式、また、歌に象徴される京都からの伝統文化をひきついだものとして、明治宮廷は、明治維新、文明開化の時代をむかえていくことになる。それは、第二巻以降になるのだろう。楽しみに読むこととしたい。

追記 2018-01-22
この続きは、
やまもも書斎記 2018年1月22日
『明治天皇』(二)ドナルド・キーン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/22/8774280