『西郷どん』における方言(二)2018-02-08

2018-02-08 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2018年1月26日
『西郷どん』における方言
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/26/8776739

前回、とりあげなかった人物で、そのことばが気になる人びとについて。

まず、由羅。江戸ことばであった。薩摩の地で斉興とともにいるのだが、そのことばは江戸ことばである。

NHKのHPを見ると、由羅は江戸出身とある。薩摩にきて、斉興のもとにいることになっても、そのことばは江戸ことばのままである。

それから、新しく登場した於一(篤姫)。これは、鹿児島ことばであった。島津の姫のひとりということだから、鹿児島ことばでも自然といえば、そうなのだが。しかし、この姫は、いずれ江戸の将軍のもとに嫁ぐことになる。江戸に行ってからも、鹿児島ことばのままなのであろうか。

さて、以前のNHKの大河ドラマ『篤姫』では、どうだったろうか。(これは、あまりはっきり覚えていない。)

また、斉彬は薩摩藩主になっても、江戸ことばのままである。この斉彬の江戸ことばと、斉興の鹿児島ことばの違いが、親子の対立を一層鮮明にしている。

この『西郷どん』の脚本は中園ミホである。今、BSで再放送している『花子とアン』の脚本も書いている。『花子とアン』をみていると、村岡花子は、もともと山梨ことば。それが、東京の女学校に入って、東京ことばになっていく。働いて、結婚して、という展開だが、東京の仕事の場面や家族との会話のシーンでは、東京ことば。しかし、故郷の家族(父や母)と話すときには、山梨ことばになっている。

また、妹のかよも、東京のカフェで働いているという設定であるが、山梨ことばが抜けていない。

中園ミホ脚本においては、登場人物が、どの方言を話すかは、状況によっていくぶん左右されるところがあるようだ。キャラクターの設定と場面によって、どの方言を、どのような場面で使うか選択的である、ともいえようか。

では、『西郷どん』ではどうなるだろうか。今のところ、登場人物の状況の変化によって、そのことばが変わるということはない。だとすると、このまま明治維新になって、明治政府ができるとすると……そこは、まさに『国語元年』(井上ひさし)のような状況になるだろう。薩摩や長州、京都などのことばが入り乱れる。

たぶん、なにがしかの共通のことばがあったはずである。方言のまま同士でことばが通じるとは思えない。だが、江戸ことばの斉彬と、鹿児島ことばの薩摩の人びとと支障なくコミュニケーションできているという設定からするならば、このまま方言をかえずにいくということもあり得るだろう。(あくまでもドラマの演出としてであるが。)

これから、幕末の動乱期、明治維新をむかえるとき、西郷隆盛や、篤姫のことばは、どのように変化するだろうか/あるいはしないのだろうか、このあたり、注目して見ていこうと思っている。

そして、牢にいた謎の男は、どんなことばをはなすのだろうか。

追記 2018-03-08
この続きは、
やまもも書斎記 2018年3月8日
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