『わろてんか』あれこれ「最高のコンビ」2018-02-11

2018-02-11 當山日出夫(とうやまひでお)

『わろてんか』第19週「最高のコンビ」
https://www.nhk.or.jp/warotenka/story/19.html

前回は、
やまもも書斎記 2018年2月4日
『わろてんか』あれこれ「女興行師てん」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/04/8781948

この週の中心は、やはり、リリコと四郎。この二人の漫才コンビがどう成功するかのストーリーであった。

が、強いて批判的に見れば、先が読める展開でもあった。しゃべるのが下手な四郎、だが、アコーディオンはうまい、であるならば、あえてしゃべるのを少なくして、アコーディオンを使っての音曲漫才にすればいい。

いや、もともと漫才(万歳)という芸能は、音曲をともなうものではなかったか。それを、キースとアサリが、しゃべくりを中心としたものに変えていった。その同じ路線を、リリコと四郎が踏襲しようと思っても、うまくいくはずもない。ここは、四郎のアコーディオンの腕を生かす道をさぐるべきだった。

このあたり、予想したとおりの展開になって、ある意味で安心して見られる週であった。

だが、北村笑店の売れっ子漫才師になって、リリコは、また再び映画の世界に無事にもどることになるのだろうか。このあたり、伊能栞との駆け引きがまっているのかもしれない。

ところで、アメリカに芸能の勉強に行っていたはずの子ども、隼也。新しいアメリカ流の芸能ビジネスを提案することになるのかと思っていたが、そうはならなかった。売店の担当。まあ、これはこれで、成功したというべきであろうが。それでも、似顔絵饅頭にブロマイドぐらいのアイデアは、あまりに月並みだと思う。ここは、斬新なアメリカ流の芸能ビジネスの発想を見せてほしかった。

いや、その隼也の活躍は次週のことになるのかもしれない。たのしみにして見ることにしよう。

追記 2018-02-18
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月18日
『わろてんか』あれこれ「ボンのご乱心」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/18/8789842

関西大学の東西学術研究所に行ってきた2018-02-12

2018-02-12 當山日出夫(とうやまひでお)

2018年2月10日。関西大学で研究会があった。2017年度の関西大学東西学術研究所の研究例会。

いろいろ興味深い発表があった。まず、金水敏さん(大阪大学)の「村上春樹小説のキャラクター分析と翻訳」。それから、岡島昭浩さん(大阪大学)の「近代方言意識史を目指して-西郷隆盛はどう語らせられてきたか」。

これらは、国語学、日本語学の近年の用語でいえば、役割語とか方言コスプレなどの概念で論じられることのあるテーマである。

金水さんの役割語の発表、著書でその考え方を知ってはいたが、直接、口頭発表でこの話しを聞くのは初めてである。役割語と物語論の分析の融合をめざしていることは理解できるのだが、村上春樹以外の作品でどうなるのか、今後のこの研究の展開に期待したいと思う。

岡島さんの発表は、ちょうどNHK『西郷どん』の放送もあるので、タイムリーな発表であった。西郷隆盛という人物を論じるにあたって、鹿児島方言とのかかわりが、かなり以前からあったことが実証されていたように思う。(ただ、実際に西郷隆盛がどんなことばを話していたのか、このことについて、もうちょっとつっこんだ話しがあると面白かったのだが。)

それから、内田慶市さん(関西大学)の発表。関西大学の、KU-ORCASについて。関西大学も、これからの日本において、東洋学研究を中心にして、拠点として名乗りをあげることになる。その意義を語ったものであった。他にも、日本では、拠点となるべき研究機関、大学などあるが、これから、これらが相互に連携して、デジタル技術をつかって、新たな自分学知の構築ということになるのであろう。

上阪彩香さん(大阪大学)の発表は、私はこれまで何度か聞いてきた、浮世草子の計量分析の話し。このような話し、純然たる人文学系の研究者を相手にして、どのように説得力のある話しをすればいいのか、これは、これからの課題かもしれない。これから、いわゆる文理融合、文理連携の研究領域がひらかれていくなかで、このような研究が重要になってくるにちがいない。

沈国威さん(関西大学)の発表、近代語研究とコーパスの話し。日中の対照言語学の観点から見て、中国語、日本語ともに、近代語の形態素解析とコーパスの構築の重要性を認識させるものであった。

私の話したのは、JIS仮名とUnicode仮名について。これまで、表記研究会、東洋学へのコンピュータ利用セミナー(京大)などで、話してきたものを、整理して、加筆して発表。これは、来月の東洋学へのコンピュータ利用セミナーでも話しをする予定である。特に、秋萩帖の仮名についてこれから考えなければならないと思っている。

仮名という一見すると、自明で当たり前のことのように思える文字であっても、コンピュータで使う文字として仮名・変体仮名がどのように決まっているのか、どう運用することが求められるのか、この方面のことになると、研究はこれからである。

終わって、発表者を中心に懇親会。大学近くのイタリアンのお店。久々に家のそとで楽しくワインなど飲んで、充実した時間だった。

『西郷どん』あれこれ「謎の漂流者」2018-02-13

2018-02-13 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年2月11日、第6回「謎の漂流者」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/06/

前回は、
やまもも書斎記 2018年2月6日
『西郷どん』あれこれ「相撲じゃ!相撲じゃ!」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/06/8783124

牢にいた謎の男……ジョン・万次郎だった。あるいは、その後の名前でいえば、中浜万次郎というべきか。

調べてみると、ジョン・万次郎はたしかに漂流した後アメリカにわたり、その後、琉球、鹿児島経由で、日本にもどってきている。この意味では、ジョン・万次郎の鹿児島滞在の時期が、西郷吉之助と重なっていてもおかしくはない。

このあたりは、史実をもとにしたフィクションということで、うまく作ってあったと思う。

ここで表したのは次の二点になるだろうか。

第一は、どのような人物ににであれ、胸襟を開かせることのできる、ある意味で特異な人物像としての西郷隆盛。ジョン・万次郎に正体をあかさせたのは、西郷の功績ということになる。

第二は、斉彬との関係。どうやら西郷は、斉彬から直々の命をうけて、牢に潜入して、謎の男(ジョン・万次郎)の正体を探ることになったらしい。西郷と斉彬が、どのような主従関係であったのか、このあたりは、考証の難しいところかもしれない。だが、斉彬は、江戸にいたときから西郷に目をつけ、相撲の場で出会うことになり、その後は、直々に言葉をかけてもらうという関係を得た、という展開である。

以上の二点が、歴史上の出来事、考証から考えて、あり得たかもしれないという設定で作ったドラマかと思える。ここのあたりは、かなり大胆に歴史に切り込んでフィクションで描いているところだろう。

フィクションといえば、岩山糸との関係。このあたりも、実際の歴史的事実からすれば、フィクションということになるのだろうが、西郷のその後の人生を描く上で、後に妻となる糸を、このような形で登場させておくことは、興味深く面白いドラマになっていたと思う。

ところで、ジョン・万次郎の話していたことばは、英語か、でなければ、日本語としては土佐ことばであった。土佐の漁師であった万次郎としては、これは当然のことだろう。だが、その土佐ことばで、鹿児島ことばの西郷とも、江戸ことばの斉彬とも、支障なくコミュニケーションできていたというのは、どうだろうか。これは、歴史ドラマにおける方言として、ヴァーチャルな世界でなりたつ設定として見ておくべきことになる。

追記 2018-02-20
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月20日
『西郷どん』あれこれ「背中の母」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/20/8791072

桜の花芽2018-02-14

2018-02-14 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日なので花の写真の日。山茶花の花はほとんど終わり。椿の花はまだ咲かない。なので、今日も、冬の花芽の様子。桜である。

我が家にある桜の木。例年、四月になる花をさかせる。特に開花が早いというわけでも、遅いこともない。その桜の木の冬の間の様子である。まだまだ、蕾が堅い。だが、見れば、いずれこの花芽に桜の花が咲くであろうことが推測できる。

写真を写した日、その前日に降った雪がまだ地面にのこっていた。風がつめたかった。二月の上旬、節分は過ぎたとはいえ、まだ真冬という時期である。この時期であっても、その目で見るならば、確実にやってくる春の準備を植物はしていることがわかる。

使っているのはいつものとおりマイクロ85ミリ。いつもは撮ったままの構図(ノートリミング)なのだが、今回は、いくつかの写真についてはクロップ(トリミング)してある。桜の芽は小さい。

桜の花芽

桜の花芽

桜の花芽

桜の花芽

Nikon D7500
AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR

追記 2019-03-06
この続き(次の年)は、
やまもも書斎記 2019年3月6日
桜の冬芽
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/03/06/9043856

『宿命の地』ロバート・ゴダード2018-02-15

2018-02-15 當山日出夫(とうやまひでお)

ロバート・ゴダード.北田絵里子(訳).『宿命の地』(上・下)(講談社文庫).講談社.2017
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062936620
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062936637

続きである。
やまもも書斎記 2018年2月10日
『灰色の密命』ロバート・ゴダード
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/10/8785539

このシリーズの三作目は、日本が舞台である。「1919年三部作」ということだから、日本でいえば大正8年になる。第一次大戦後、大正時代の半ばの日本。

(これは書いてもいいことだろうと思うが)やはりマックスは無事であった。でなければ、このような三部作になるはずがない。そして、日本での波瀾万丈の大活劇。東京のみならず、京都やその周辺地域が描かれる。読んでいてこれにはさほど違和感なかった。日本の事情についてきちんとリサーチしての執筆であることがわかる。

この第三部になってはじめてあかされる、マックスの出生の秘密。また、最後の方に出てくる、パリのあるシーンの回想が印象的である。

興味深いのは、この作品が、世界の歴史の中に日本をおいて見る視点をとっていることだろう。大津事件(ロシア皇太子の襲撃事件)、大隈重信襲撃事件など、日本近代の歴史的事件が、実は、世界の歴史のなかでどのような意味をもつものであったのか、その影にどのような陰謀があったのか、歴史ミステリならではの視点で語られる。

このようなことは、小説として読んでおけばいいのだが、中には、ふと気付かされる歴史的な指摘もある。第一次大戦で、日本は、太平洋の旧ドイツ領の島々の権益を獲得することになった。そのことが、太平洋において、日本とアメリカとの対立の遠因になる……後の太平洋戦争へいたるまで出来事としてであるが、さりげなく書いてある。しかし、この指摘はあたっているのではないだろうか。

外国の作家が日本を舞台にして書いた小説として読んでもよく書けていると思わせる出来映えになっている。大正時代の日本ならば、さもありなんという雰囲気をよく出してある。

しかし、どうしても気になる訳語がある。「ランタン」である。室内の照明につかうという設定で登場するのだが、これは、「ランプ」の方がいいのではないか。この訳語だけが、どうにも気になってしかたがなかった。

そして、この三部作の続編もあるようだ。マックスとレンマーは、ある約束を交わす。その約束を伏線として、次の展開になるのかもしれない。翻訳の出るのを楽しみに待つことにしよう。

『銀河鉄道の父』門井慶喜2018-02-16

2018-02-16 當山日出夫(とうやまひでお)

門井慶喜.『銀河鉄道の父』.講談社.2017
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062207508

第158回の直木賞受賞作。読んでみることにした。宮沢賢治の父のことを描いた作品ということで、興味がわいた。ちょうど、『宮沢賢治』(吉本隆明.ちくま学芸文庫)を、読み始めていたところでもあった。

ただ、これは、あくまでも〈小説〉として描いた、宮沢賢治と、その父である。宮沢賢治の評伝として読んではいけないだろう。気楽に読めばいい。そして、そのように読める。

父と子の物語である。実直に質屋をいとなむ父親とその一族。そのなかにあって、その当時としては高学歴の道を歩むことになる子ども、賢治。その生き方の対比が、主に父親の視点から語られる。だが、ここには、深刻な親子の生き方の断絶というものがない。父親は、あくまで慈愛のまなざしをもっている。また、賢治の方でもそれに答えている。

この作品には、あまり文学者としての宮沢賢治の姿は出てこない。ただ、勉強がしたい、地域の人につくしたいという、真面目な青年の姿である。

また、宮沢賢治を論じるとき大きく問題になる法華経信仰の問題、そして、父の信仰(浄土真宗)との対立も、そう深刻なものとしてはあつかわれていない。

作中、印象的なのは、妹、トシの死の場面である。これは、宮沢賢治の「永訣の朝」で知られている。

たまたま、その子どもが宮沢賢治という名の残る文学者であった。だが、このような父と子の物語は、大正時代の地方にあっては、そんなに珍しいものではなかったろう。実直に家業にはげむ親、勉学への志を持つ子ども、その間にある対立、また、通い合う心情。そして、病気。おそらく、どこにでもあり得たであろうような、家庭の姿を描いている。たまたま、この小説の場合、子どもが宮沢賢治という著名な文学者であったということにすぎない。

大正時代、日本のどこにでもあり得た、父と子、家庭の物語として、この作品は読まれればよいのだと思う。

『明治天皇』(四)ドナルド・キーン2018-02-17

2018-02-17 當山日出夫(とうやまひでお)

ドナルド・キーン.角地幸男(訳).『明治天皇』(四)(新潮文庫).新潮社.2007 (新潮社.2001)
http://www.shinchosha.co.jp/book/131354/

続きである。
やまもも書斎記 2018年2月3日
『明治天皇』(三)ドナルド・キーン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/03/8781281

この第四巻は、歴史としては、日露戦争から明治天皇の崩御にいたるまでの、明治のおわりの時期のことになる。

読んで印象にのこったことは次の二点だろうか。

第一は、日露戦争。この本は、冷静に日露戦争のことを描いている。読んでみての印象としては、結局、朝鮮半島から満洲にいたる地域の権益をめぐっては、日本とロシアとは戦わざるをえなかったというふうに描いてあると読める。今日の観点からは、日露戦争は、侵略戦争という位置づけができるのかもしれないが、本書では、そのような立場をとってはいない。

そして、世界の歴史のなかで日露戦争を見る視点を忘れてはいない。なぜ、イギリスが日本と同盟することになったのか。また、なぜ、アメリカが和平の仲介に乗り出すことになったのか。このあたりの国際情勢が冷静な筆致で語られる。

第二は、安重根の伊藤博文暗殺事件と、幸徳秋水の大逆事件である。どちらも、明治国家にとっては重大事件である。が、記述のなかで印象に残ることとしては、安重根も、幸徳秋水も、ともに、明治天皇には畏敬の念をもっていた、という指摘である。

明治政府、日本国家に対しては、たしかに反逆したということになる。だが、明治天皇という人(といっていいだろうが)、に対しては、好意的な立場であったことが、二つの事件の記述の中に見える。これは、意外な指摘であるという印象であり、また、明治天皇という一人の近代国家の君主が、その当時の人びとにとって、きわめて魅力的な存在であったということでもある。

以上の二点が、四冊目を読んで、強く印象に残ることである。

明治という時代、近代国家としての日本の成立、このような歴史的背景とは別に、一人の君主としての明治天皇という存在がある。明治天皇を抜きにしては、明治という時代、明治維新という歴史的出来事を語ることはできない。しかし、その一方で、明治天皇という一人の君主は、抜きん出て人を魅了するところがある。明治大帝といわれるゆえんであろう。

別の角度からみれば、たまたま明治維新がおこったときに天皇の地位にいただけのことであったのかもしれない。だが、そうであるにしても、その後、45年間にわたって、「明治」という時代を背負ってきたという歴史的事実の重みがある。これもたまたま明治という年号がつづいた(一世一元)というだけのことかもしれない。だが、そう思って見ても、「明治」という時代ととにあった明治天皇の偉大さというものが、減ずるものでもない。

日本の近代において、明治維新の後、明治天皇という偉大な君主のもとに日本の近代化がすすめられてきた。むろん、それに併行して、社会のひずみや犠牲という面もあったにはちがない。だが、そのようなことをふまえてもなお、明治天皇の残した足跡は偉大であるといわざるをえない。

ドナルド・キーンの『明治天皇』は、特に、新出の史料によって斬新な歴史観を打ち出したという本ではない。多くは既存、既刊の史料、文献によっている。その量は膨大である。その資料をもとに、明治という時代と、明治天皇という君主の一代を描いた本書は、明治150年をむかえた、今日においてこそ、さらに読まれるべき本だと思う。

『わろてんか』あれこれ「ボンのご乱心」2018-02-18

2018-02-18 當山日出夫(とうやまひでお)

『わろてんか』第20週「ボンのご乱心」
https://www.nhk.or.jp/warotenka/story/20.html

この週の見どころは、隼也の失敗。マーチン・ショウの話しは詐欺であった。

この詐欺にだまされる話し、これも、先が読める、たぶんそうだろうという展開で、安心して見ていられはしたのだが、今ひとつ面白くなかった。

なぜだろうかと考えるに、アメリカに芸能ビジネスの勉強に行っていたという設定があまり生かされていないせいだと思う。アメリカに行って、マーチン・ショウを見てくるだけのことなら、別に隼也でなくても、誰でもできたはずである。(アメリカに行くこと自体は容易でなかったかもしれないが。)

昭和の始めのころに、アメリカに行って現地の芸能ビジネスとはどんなものであるのかを見てくることにどんな意味があるのか、その時代背景を……当時の日米関係をふくめて……もうちょっと説明的な描写が欲しいところである。

一方で、キース・アサリのコンビを解消させる動きもあった。これからの時代に対応するための北村笑店として、これしか方法がないということだった。

この二つ……マーチン・ショウの詐欺事件と、キース・アサリのコンビ解消の一件と……このふたつが、その当時(昭和のはじめごろ)の世相のもとに、どんな意味があったのか、もっと総合的にからめて見る視点があってもよかったと思われる。ドラマを見ていると、ただ二つのことがバラバラに起こっていただけのようである。

昭和の初め頃の世相を背景に、芸能ビジネスが実際にどのようであったのか、このあたりが、もうちょっと掘り下げて描写してあると、ドラマに奥行きが出るのではないか。

と不満のようなものを感じながらでも見ているのは、やはりヒロイン(葵わかな)の頑張りのせいだろう。おそらくは倍以上の年齢の役を、こなしている。このドラマ、ヒロインの何歳ぐらいまでを描くことになるのだろうか。また、それにともなって、戦争ということも出てくるはずであるが、それは、どのように描かれるのだろうか。

これからこのドラマは、隼也の成長の物語になっていくと思われる。そこで、どのような母親役、経営者役を、ヒロインが見せることになるのか、楽しみに見ることにしよう。

追記 2018-02-25
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月25日
『わろてんか』あれこれ「ちっちゃな恋の物語」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/25/8794071

『湿地』アーナルデュル・インドリダソン2018-02-19

2018-02-19 當山日出夫(とうやまひでお)

アーナルデュル・インドリダソン.柳沢由実子(訳).『湿地』(創元推理文庫).東京創元社.2015 (東京創元社.2012)
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488266035

調べてみると「このミス」では、2013年の海外第4位である。出た時に話題になった本であることは認識していたが、なんとなく読みそびれてしまっていた。時間ができたので読んでおくことにした。

北欧警察小説ということなのだが、読後感としては、あまり警察小説という雰囲気ではない。確かに、警察官が主人公ではあるのだが。それよりも、アイスランドという北欧の小さな国を舞台にした、かなり特殊な犯罪小説という感じである。

ダイイング・メッセージが残されているのだが、私の読んだ印象では、これを決定的手がかりとして、犯人の判明にいたるということではないようだ。犯人が分かってから、その動機の解釈として、意味をもってくる。

この作品、やはりアイスランドという、小さな国を舞台にしないと成立しない設定になっている。だが、この国の人びとのありかたは、ネットワーク社会になり、また、生命科学の進んだ現代社会の、近未来のあり方を示唆しているとも理解できる。

謎解き開明の探偵小説というよりも、やはり、北欧アイスランドという小さな国を舞台にしての、ある犯罪をめぐる小説として読むのがいいように思える。

さて、次は『緑衣の女』を読むことにする。

追記 2018-02-24
『緑衣の女』については、
やまもも書斎記 2018年2月24日
『緑衣の女』アーナルデュル・インドリダソン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/24/8793366

『西郷どん』あれこれ「背中の母」2018-02-20

2018-02-20 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年2月18日、第7回「背中の母」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/07/

前回は、
やまもも書斎記 2018年2月13日
『西郷どん』あれこれ「謎の漂流者」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/13/8787097

このドラマ、一回ごとに一つの話題でいくようだ。前回は、ジョン・万次郎。その前は、相撲。そして、今回は、家族。

西郷は、たてつづけに家族を失う(祖父、父、母)。その一方で、結婚もする。まあ、この結婚は末永く続くということはなかったということになるのであろうが。ともかく、家族をめぐっての物語がこの週のメインであった。

この意味では、それまでに慎重に伏線をはりめぐらせておいて、巧みにそれを回収しながら続けていくというドラマとは、違っている。一話ごとに話しがきりかわる。これはこれで一つの作り方だと思ってみている。

そうはいっても、ここで家族をめぐる一連のできごとで、強く描かれていたのは、西郷の家族と故郷に対する思いである。

「敬天愛人」という。その西郷の基礎にあるのが、家族への思いであり、故郷(鹿児島)の桜島の風景なのであろう。パトリオティズム(愛郷心)と言ってもいいだろう。家族(母)のことを思って、斉彬に従って江戸に行くことも志願しなかったようだ。その西郷と母は、桜島を眺めることになる。

そして、次回は、いよいよ黒船の襲来のようだ。ここで、近代国家日本のナショナリズムということになる。(ただ、私は、ナショナリズムを悪いものと考えているのではない。これから、このドラマがナショナリズムをどう描いていくか、見ていきたいと思っている。)

パトリオティズムとナショナリズムを一つの人格の中に融合させた人物として西郷隆盛を描くとなると、黒船の前の週に、家族と故郷への思いを描いておいたのは、周到な脚本といえるのではないか。

今回も、黒船来航を予知していた斉彬の先見性が見られた。かっこよすぎる気がしないでもない。それから、於一。これからどんな篤姫の姿になっていくのであろうか。次回も楽しみに見ることにしよう。

追記 2018-02-27
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月27日
『西郷どん』あれこれ「不吉な嫁」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/27/8795151