『西郷どん』における方言(三)2018-03-08

2018-03-08 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2018年2月8日
『西郷どん』における方言(二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/08/8784439

西郷は、江戸に出る。そこでのことばのことについてちょっと思ったことなど書いておきたい。

第一に、薩摩藩邸の中では、鹿児島ことばであった。江戸であるからといって、江戸ことばになっていない。まあ、これは、そこにいる人間が薩摩出身ということで、こうなっているのだろう。

これも、薩摩藩邸といえども、江戸にあるので、江戸ことばであってもおかしくはない。治外法権のようなものである。だが、江戸で生まれた斉彬は、江戸ことばである。まわりの藩邸の武士などが、鹿児島ことばなのに、斉彬だけが江戸ことばなのか、おかしいという気がしなくもないが、これは、ドラマの設定としてこうなっているのであろう。

第二に、薩摩の貧農の娘(ふき)。身売りされて、流れ流れて江戸までやってきた。品川の妓楼で、西郷と再会する。このふきのことば。江戸ことばにすこし郭ことばがまじっているという感じだった。が、西郷と話すときには、鹿児島ことばになっていた。

第三に、篤姫。いずれ、将軍家に嫁ぐ、大奥に入ることになる。だが、薩摩藩邸のなかでつかっているのは、鹿児島ことばであった。この篤姫が、大奥に入ってから、どうことばが変わるか、これは気になるところである。

第四に、西郷。江戸に来ても、当然といえばそれまでだが、鹿児島ことばである。薩摩藩邸のなかでは、鹿児島ことばだから不自由はないようである。それが、品川の妓楼に行くことになる。そこで、先に江戸に来ていた、仲間と話すシーン。先に江戸に来ていた仲間は、江戸ことばも話せる。それに、西郷は違和感をいだくことになる。

だが、主君・斉彬は江戸ことばである。その斉彬のことばについては、特に違和感なく、接している。また、この主従の関係において、ことばが通じないということにはなっていない。江戸にいる開明的な主君・斉彬、それに忠誠をつくす、薩摩の下級藩士である西郷。この主従関係は、ことばの違いをこえて、強い結びつきがあるように描いてある。

この西郷が、水戸の屋敷に使いに行くシーン。道が分からなくて、人に道を聞くところでは、ことばに困っていたようである。しかし、水戸藩邸の中で、斉昭、慶喜と会うシーンでは、コミュニケーションできていた。また、品川の妓楼で遊ぶこともあるという設定で登場した慶喜が江戸ことばであるのは当然なのかもしれないが、斉昭はどうなのだろう。水戸のことばであってもいいような気がするのだが、そうはなっていなかった。

以上のようなことが、これまで見たところの範囲で、『西郷どん』における方言として気になっているところである。無論、これは、ドラマなのであるから、そのように演出して、登場人物は話している。そのうえで、なに不都合なくコミュケーションできたり、逆に、ことばが通じなくて困ったりということになっている。

実際に江戸時代のおわり、江戸にあつまった地方の武士たちが、どのようなことばでコミュニケーションしていたか、という歴史的考証とは別の次元のことになる。あくまでも、ドラマのなかにおける、バーチャルな世界のことばとして理解しておくべきことである。

追記 2018-03-29
この続きは、
やまもも書斎記 2018年3月29日
『西郷どん』における方言(四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/29/8813994