『背教者ユリアヌス』(一)辻邦生 ― 2018-04-07
2018-04-07 當山日出夫(とうやまひでお)
辻邦生.『背教者ユリアヌス』(一)(中公文庫).中央公論新社.2017 (中央公論社.1972)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2017/12/206498.html
去年の暮れから刊行された新しく改版した文庫版、全四巻、この春に完結した。それを待って、一冊目から読み始めている。
この作品、昔、高校生のころ、単行本で出た時に買って読んだのを憶えている。こまかな活字で大部な小説だった。が、その当時、ほとんど違和感なく、この大冊を読み切ってしまったものである。特に、ラストのシーンを非常に印象的に憶えている。
辻邦生の作品は、ほとんど読んでいただろうか。ただ、大学生になって、国文学、国語学という方面の勉強を始めてからは、とおざかってしまった作家である。その芸術至上主義(といっていいだろう)には、心ひかれるものがあったが、その一方で、厳密な歴史考証の世界から見ると、小説の世界を低く見るようになってきた。それも、今では、国文学、国語学という世界からも退こうとして、改めて、昔読んだ作品など読みたくなって読んでいる。
年をとってしまったせいかもしれない……厳格な史実の考証ということよりも、どのような小説世界を構築しているのか、ということの関心で、作品に虚心に向かえるようになってきたということなのだろうと、自らかえりみて感じるところがある。
この作品の舞台は、四世紀の古代ローマである。その時代にあって、キリスト教に反して、古代ギリシャの文学、哲学にあこがれる哲人君主の姿である。昔、読んだときには、その姿には、『廻廊にて』や『夏の砦』の主人公たちに共通する、凜とした精神のありかたを感じていた。今、四〇年ぶり以上になろうか、読み返してみて、その印象はかわらない。
だが、昔は感じなかったこととして、なんと血なまぐさい時代を背景にした小説であることか、ということがある。血で血を洗うというべきか、皇帝一族の反目、粛正、激動の時代背景である。ローマ帝国も安泰ではない。東にはペルシアが攻め込んでいるし、西の方でも独立の動きがある。
古代統一国家ローマを統べる手段として、キリスト教が国の宗教になった。だが、そのようなキリスト教に、ユリアヌスは抵抗を感じている。古代ギリシャの文学、哲学の世界の精神の高さにあこがれる。
この作品では、「背教者」としてのユリアヌスが描かれるのだが、キリスト教への嫌悪のようなものは感じない。それは、理想としてのキリスト教の姿というようなものが、この作品の背後にあるからなのだろう。辻邦生作品に共通して見られるもの……キリスト教においてであれ、異教においてであれ、そのなかに屹立する精神の気高さ、これこそ読んで感じるものである。
第二巻以降を楽しみに読むことにしよう。
追記 2018-04-14
この続きは、
やまもも書斎記 2018年4月14日
『背教者ユリアヌス』(二)辻邦生
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/04/14/8826026
http://www.chuko.co.jp/bunko/2017/12/206498.html
去年の暮れから刊行された新しく改版した文庫版、全四巻、この春に完結した。それを待って、一冊目から読み始めている。
この作品、昔、高校生のころ、単行本で出た時に買って読んだのを憶えている。こまかな活字で大部な小説だった。が、その当時、ほとんど違和感なく、この大冊を読み切ってしまったものである。特に、ラストのシーンを非常に印象的に憶えている。
辻邦生の作品は、ほとんど読んでいただろうか。ただ、大学生になって、国文学、国語学という方面の勉強を始めてからは、とおざかってしまった作家である。その芸術至上主義(といっていいだろう)には、心ひかれるものがあったが、その一方で、厳密な歴史考証の世界から見ると、小説の世界を低く見るようになってきた。それも、今では、国文学、国語学という世界からも退こうとして、改めて、昔読んだ作品など読みたくなって読んでいる。
年をとってしまったせいかもしれない……厳格な史実の考証ということよりも、どのような小説世界を構築しているのか、ということの関心で、作品に虚心に向かえるようになってきたということなのだろうと、自らかえりみて感じるところがある。
この作品の舞台は、四世紀の古代ローマである。その時代にあって、キリスト教に反して、古代ギリシャの文学、哲学にあこがれる哲人君主の姿である。昔、読んだときには、その姿には、『廻廊にて』や『夏の砦』の主人公たちに共通する、凜とした精神のありかたを感じていた。今、四〇年ぶり以上になろうか、読み返してみて、その印象はかわらない。
だが、昔は感じなかったこととして、なんと血なまぐさい時代を背景にした小説であることか、ということがある。血で血を洗うというべきか、皇帝一族の反目、粛正、激動の時代背景である。ローマ帝国も安泰ではない。東にはペルシアが攻め込んでいるし、西の方でも独立の動きがある。
古代統一国家ローマを統べる手段として、キリスト教が国の宗教になった。だが、そのようなキリスト教に、ユリアヌスは抵抗を感じている。古代ギリシャの文学、哲学の世界の精神の高さにあこがれる。
この作品では、「背教者」としてのユリアヌスが描かれるのだが、キリスト教への嫌悪のようなものは感じない。それは、理想としてのキリスト教の姿というようなものが、この作品の背後にあるからなのだろう。辻邦生作品に共通して見られるもの……キリスト教においてであれ、異教においてであれ、そのなかに屹立する精神の気高さ、これこそ読んで感じるものである。
第二巻以降を楽しみに読むことにしよう。
追記 2018-04-14
この続きは、
やまもも書斎記 2018年4月14日
『背教者ユリアヌス』(二)辻邦生
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/04/14/8826026
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