『半分、青い。』における方言2018-04-19

2018-04-19 當山日出夫(とうやまひでお)

今度のNHKの朝ドラ『半分、青い。』も見ている。ドラマの時代設定は、1980年代。舞台は、岐阜である。地方を舞台にしたドラマであるから、当然のように、その地方の方言がつかわれている。テレビを見ていると、その地方の方言は、さほど特色が強いとは感じられない。標準的な日本語に近い印象である。だが、それとなくその地方の雰囲気を感じさせる話し方である。これはこれでいいとして、見ているとその方言を使わない登場人物がいる。

それは、語り、ナレーションである。ヒロイン(鈴愛)の祖母(廉子)であるが、はやく一週目に亡くなってしまって、ナレーションになっている。風吹ジュンである。(このようなナレーションの設定は、以前のドラマでは、『べっぴんさん』であった。菅野美穂が母親役で出ていて、亡くなってからナレーションをしていた。)

この語り、ナレーション(廉子)、生きている間(?)は、岐阜方言だったと思うのだが、ナレーションになってからは、方言が消えている。少なくとも、私の見た限りでは、そのように感じる。ドラマの進行を客観的な視点から見るナレーションという立場からするならば、方言ではなく、標準語の方がふさわしいということなのであろう。このナレーションのことばが、これから、標準語のままでいくのか、あるいは、場合によっては、祖母の立場にもどって方言に帰ることがあるのか、これから気をつけて見ていきたいと思う。

また、〈心の声〉とでもいうべきものがあった。律の語りも、方言を感じさせなかった。

それから、子どもの時代に登場していたブッチャーの親。西園寺一家である。この母親は、いかにもお金持ちという感じの話し方である。『ドラえもん』におけるスネ夫の家を思い浮かべればいいだろうか。「お金持ち」には、方言は似つかわしくないということかもしれない。あるいは、「お金持ちことば」という「役割語」で考えてみるべきことであろうか。

ただ、これも舞台が岐阜だからそうなるのだと思う。前作『わろてんか』のように京都・大阪が舞台ならば、お金持ちが出てきても、京都方言や大阪方言のままであったはずである。(中で、東京方言の伊能栞がいたが、これは、東京生まれという設定であった。)

これから、ヒロインが成長して、やがては東京に出て行くことになるはずである。そこで、どのようなことばが話されることになるのか、見ていきたいと思っている。時代と土地、それから、語り、心の声……これらが登場人物のことばにどう関係していくか、気になるところである。

追記 2018-05-31
この続きは、
やまもも書斎記 2018年5月31日
『半分、青い。』における方言(二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/05/31/8862756

コメント

_ 通りすがり ― 2018-06-04 12時13分19秒

半分青いで扱われている地域の方言は口語ですので、ナレーションなどで、書き物を読む場合に方言が消えるのはむしろ自然と言えます。関西弁みたいに舞台や高座の上でも使う言葉ではありません。
ドラマの冒頭で、すずめのモノローグが標準語でしたので、そういう扱いを反映していると言えます。

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