『世界史のなかの昭和史』半藤一利 ― 2018-04-23
2018-04-23 當山日出夫(とうやまひでお)
半藤一利.『世界史のなかの昭和史』.平凡社.2018
http://www.heibonsha.co.jp/book/b335427.html
半藤一利の昭和史の仕事、三部作の一つとのこと。これより以前に出た、『昭和史』それから『B面昭和史』は、読んでいる。『B面昭和史』については、このブログでもふれたことがある。
やまもも書斎記 2016年9月16日
半藤一利『B面昭和史 1926-1945』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/16/8191044
結論から見れば、昭和史、特に戦前・戦中の歴史を、主にヒットラー、スターリン、さらには、ルーズベルトの思惑がどうからんで、日本の歴史がそうなってしまったのかを語った本である。歴史書とはいえるだろうが、歴史学研究書ではないといってよい。
例によって、著者(半藤一利)は、「民草」の語を用いている。この語で意味するものは、いわゆる市民、庶民、国民ということになるのだろうが、それが、逆に、ある意味で、この本の限界のようにも感じる。
無論、「民草」という視点を設定することによって見えてくるものがある。しかし、同時に、「民草」と言ってしまうが故に見えなくなるものものある……例えば、戦前の日本の統治下にあった朝鮮や台湾の人びとのことなどを私は考えてみるのだが……その効用と問題点をわかった上で、読むべき本だと思う。あるいは、世界史を語るのに「民草」の視点は無理があるのではないだろうか。「B面昭和史」ならともかく。満州国ができたとき、その地に住む「民草」はどう思っていたであろうか。
とはいえ、読んでいくと、個別の歴史的事項の説明については、ナルホドと思わせるところが多々あるのはさすがである。歴史探偵ならではの本である。しかし、この本の全体を通じて、歴史とは何であるのか、歴史を語るとはどういうことなのか、ということについては、今ひとつ漠然としている印象である。あるいは、タイトルのしめしている、世界史のなかで昭和史(その戦前・戦中の歴史)をどう考えるかということについて、今ひとつ焦点が合っていない気がしてならない。
やはりこのような企画の本としては、日本史のなかの重要な事件……例えば満州事変……において、その当時の国際情勢はどうであったのか、という観点から読み解いていくのがいいのではないか。この本、基本的に年代順に出来事を追っているのだが、日本の歴史と、欧米の歴史が行ったり来たりしているので、すんなりと頭にはいらない。
それだけ、世界の歴史の中で、昭和の歴史を考えることは、問題点が多岐にわたり、難しい課題であるということかもしれない。いや、このことは、著者自身が自ら一番よく分かっていることでもあるようだ。「あとがき」を読むと、この本で触れていないこととして、ナチスのユダヤ人虐殺のこととか、フランスのド・ゴールのこととか、について言及してある。(ユダヤ人の問題について、そのドイツの「民草」はどのように思っていたのだろうか。)
昭和の、特に、戦前の歴史を考えるときに、世界史のなかで日本がどのような立場にあったのか、これは、きわめて重要な点であることはいうまでもない。その論点をたててはいるのだが、結果的に成功しているかどうかとなると、微妙だな、という印象である。
歴史を語るにはいろんな視点があるだろう。たとえば、「民草」の視点もある。が、その他、時の政権の政策立案責任者がいるだろう。政治家は何をしていたのか。官僚は何を考えていたのか。軍はどうであったのか。そして、その頂点には、昭和天皇の意向もあっただろう。これらが、錯綜しているのである。それが、叙述に深みをもたらすよりは、混乱をまねいているように読めるのである。(これも、語られている歴史的な事柄に十分な予備知識を持って読めば、自ずと整理されてくるということなのかもしれない。残念ながら、私には、それだけの知識がない。)
だが、少なくともこの本を読んで、例えば日中戦争において、その後の真珠湾攻撃までの間にでも、いくつかの歴史的転換点があったことが理解される。歴史の結果を知っている今日から見れば、ことごとく失敗の判断をしたということになるのだが、歴史に学ぶという意味で、本書で指摘されているような、かつての歴史の失敗をつぶさに見ていく必要はあるだろう。その失敗の原因は、何にあるのかが問われねばならない。
歴史は皮肉なものであると著者はいっている。確かに、歴史の結果を知っている今日の目からみれば、そのような感慨はでてくるにちがいない。歴史に学ぶには、さらに一歩ふみこんで考える必要がある。この本を出発点にして、歴史に学ぶ、歴史を研究するということがスタートすることになると思う。その出発点を確認する意味では、いい本だと思う。
http://www.heibonsha.co.jp/book/b335427.html
半藤一利の昭和史の仕事、三部作の一つとのこと。これより以前に出た、『昭和史』それから『B面昭和史』は、読んでいる。『B面昭和史』については、このブログでもふれたことがある。
やまもも書斎記 2016年9月16日
半藤一利『B面昭和史 1926-1945』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/16/8191044
結論から見れば、昭和史、特に戦前・戦中の歴史を、主にヒットラー、スターリン、さらには、ルーズベルトの思惑がどうからんで、日本の歴史がそうなってしまったのかを語った本である。歴史書とはいえるだろうが、歴史学研究書ではないといってよい。
例によって、著者(半藤一利)は、「民草」の語を用いている。この語で意味するものは、いわゆる市民、庶民、国民ということになるのだろうが、それが、逆に、ある意味で、この本の限界のようにも感じる。
無論、「民草」という視点を設定することによって見えてくるものがある。しかし、同時に、「民草」と言ってしまうが故に見えなくなるものものある……例えば、戦前の日本の統治下にあった朝鮮や台湾の人びとのことなどを私は考えてみるのだが……その効用と問題点をわかった上で、読むべき本だと思う。あるいは、世界史を語るのに「民草」の視点は無理があるのではないだろうか。「B面昭和史」ならともかく。満州国ができたとき、その地に住む「民草」はどう思っていたであろうか。
とはいえ、読んでいくと、個別の歴史的事項の説明については、ナルホドと思わせるところが多々あるのはさすがである。歴史探偵ならではの本である。しかし、この本の全体を通じて、歴史とは何であるのか、歴史を語るとはどういうことなのか、ということについては、今ひとつ漠然としている印象である。あるいは、タイトルのしめしている、世界史のなかで昭和史(その戦前・戦中の歴史)をどう考えるかということについて、今ひとつ焦点が合っていない気がしてならない。
やはりこのような企画の本としては、日本史のなかの重要な事件……例えば満州事変……において、その当時の国際情勢はどうであったのか、という観点から読み解いていくのがいいのではないか。この本、基本的に年代順に出来事を追っているのだが、日本の歴史と、欧米の歴史が行ったり来たりしているので、すんなりと頭にはいらない。
それだけ、世界の歴史の中で、昭和の歴史を考えることは、問題点が多岐にわたり、難しい課題であるということかもしれない。いや、このことは、著者自身が自ら一番よく分かっていることでもあるようだ。「あとがき」を読むと、この本で触れていないこととして、ナチスのユダヤ人虐殺のこととか、フランスのド・ゴールのこととか、について言及してある。(ユダヤ人の問題について、そのドイツの「民草」はどのように思っていたのだろうか。)
昭和の、特に、戦前の歴史を考えるときに、世界史のなかで日本がどのような立場にあったのか、これは、きわめて重要な点であることはいうまでもない。その論点をたててはいるのだが、結果的に成功しているかどうかとなると、微妙だな、という印象である。
歴史を語るにはいろんな視点があるだろう。たとえば、「民草」の視点もある。が、その他、時の政権の政策立案責任者がいるだろう。政治家は何をしていたのか。官僚は何を考えていたのか。軍はどうであったのか。そして、その頂点には、昭和天皇の意向もあっただろう。これらが、錯綜しているのである。それが、叙述に深みをもたらすよりは、混乱をまねいているように読めるのである。(これも、語られている歴史的な事柄に十分な予備知識を持って読めば、自ずと整理されてくるということなのかもしれない。残念ながら、私には、それだけの知識がない。)
だが、少なくともこの本を読んで、例えば日中戦争において、その後の真珠湾攻撃までの間にでも、いくつかの歴史的転換点があったことが理解される。歴史の結果を知っている今日から見れば、ことごとく失敗の判断をしたということになるのだが、歴史に学ぶという意味で、本書で指摘されているような、かつての歴史の失敗をつぶさに見ていく必要はあるだろう。その失敗の原因は、何にあるのかが問われねばならない。
歴史は皮肉なものであると著者はいっている。確かに、歴史の結果を知っている今日の目からみれば、そのような感慨はでてくるにちがいない。歴史に学ぶには、さらに一歩ふみこんで考える必要がある。この本を出発点にして、歴史に学ぶ、歴史を研究するということがスタートすることになると思う。その出発点を確認する意味では、いい本だと思う。
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