『法学の誕生』内田貴2018-06-07

2018-06-07 當山日出夫(とうやまひでお)


法学の誕生

内田貴.『法学の誕生-近代日本にとって「法」とは何であったか-』.筑摩書房.2018
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480867261/

言うまでもないことだと思うが、私は、法律、法学については、まったく素人である。大学は文学部で、国文学、国語学を勉強した。今、教えている科目としては、日本語史などになる。法律については、まったくの門外漢である。

だが、この本には興味をもった。近代になって、日本がどのように近代化をなしとげてきたのか、自分なりに考えてみようと思っているところである。この本のタイトルを見て、興味がわいたのであった。

言われれば、法律というものも、近代になってからのものである。一般的な日本史の常識としては、近代国家としてスタートするにあたって、憲法をはじめ各種の法律がつくられ、司法制度が整備されていった。では、どのようにして、日本は法を整備していったのであろうか。このような興味関心から手にしてみることにした。

ある意味で、この本は、期待を裏切る内容のものであった。この本は、法律の継受ではなく、法学という思考の日本での成立を追っている。法律が制定され、それが運用されるにあたっては、日本で、日本語で、法学教育がなされ、そこで法曹実務者が、近代的な法学思考が出来ること、これが要件になる。その成立のプロセスを、近代日本の法学の重要人物である、穂積陳重と八束の事跡をたどることで記述してある。(この二人の名前なら、法律門外漢の私でも名前ぐらいは知っている。)

読みながら感じたことであるが・・・もし、何十年か前に、このような内容の本があって、高校生ぐらいの時に読んでいたら(コンパクトにまとめるなら新書本にでもなりうるテーマである)、大学の法学部を志向しただろうか・・・少なくとも、実務的な法解釈の議論ではない、法とは何であるかを問いかける法学という学問分野があることの認識はもてたかもしれない。

今、法学部をめざす学生は、何を志向しているのだろうか。法律実務の解釈学であろうか。それとも、法とは何かを根源的に問いかける、法哲学のような領域についてであろうか。

現在の日本には、多くの大学に法学部がある。そこで、実務的な法学教育がなされているはずである。その法学教育の基礎は、どのような歴史的背景をもとに近代日本において成立してきたのか、ここは、時間があれば考えてみてもいいことのように思う。この本は、法学部における教養レベルの段階で、読んでおくのがいいのかもしれない。

ところで、この本を私の興味関心の範囲で読んで、興味深かった点を二つばかりあげておきたい。

第一には、日本古来と意識される「伝統」というべき慣習などに配慮して、法律の制定がなされていったことである。それは、「作られた伝統」ではあるのかもしれないが、しかし、その時代にあっては、なにがしかの意味で「伝統」と意識されていたものである。それをふまえて、法律、特に民法などが制定されていったことになる。西欧の思考様式を受け継いでいる欧米の法律と、日本古来(と考えられている)「伝統」との確執のなかで、法的な整備がなされていった。そして、この「伝統」は、「国体」にもおよぶものである。

第二には、近代日本語と法律、法学である。近代日本語の公用文などが文語体で書かれてきたことは知っている。が、それが制度的に決められたのは、明治19年の制度的な変更に依拠してのことになる。また、様々な翻訳語が、法律用語として定められていき、現代にいたっている。まず、法律用語の制定からスタートしなければ、法学を日本にもたらすことはできなかった。このようなこと、日本語史の知識としては、概略知っていたことではあるが、それを、法学の方面からのアプローチで、再認識することになった。

以上の二点ぐらいが、私の興味関心の範囲で、この本から得られた知見ということになる。

たぶん、この本をきちんと理解するには、法学の素養が必要になるのだろう。法律の実務、あるいは、法学教育にたずさわっているような人が読めば、いろいろと参考になるところがあるにちがいない。だが、そのような素養を持たない私のような人間が読んでみても、それなりに面白く読める本であった。