映像の世紀プレミアム「独裁者3人の“狂気”」2018-06-18

2018-06-18 當山日出夫(とうやまひでお)

NHK 映像の世紀プレミアム 第9集「独裁者 3人の“狂気”」
http://www4.nhk.or.jp/P4235/x/2018-06-16/10/32594/2899067/

土曜日の放送を録画しておいて、日曜日に見た。見て思うことはいろいろあるが、印象的だったことを二点に絞ってみたい。あつかわれていた「独裁者」は、ムッソリーニ、ヒットラー、スターリンである。

第一に、ヒットラーに対するスターリンの評価である。ベルリンの最後が近づいてきたときにも、内部からの崩壊ということはなかった。スターリンは、ヒットラーを高く評価していた。ドイツを、あそこまで一つにまとめ上げることができたのは、ただの狂人にできることではない、と。

第二に、そのスターリン再評価の動きである。確かに多大な犠牲を出したかもしれないが、スターリンのもとでソ連は飛躍的な発展をとげた。何よりも、ヒットラーに勝つことができた。これは、功績とすべきではないか、ということ。

他にも感じるところはかなりあるが、特に印象に残っているのは、上記の二点になるだろうか。

今後、ヒットラーが再評価されることはないだろう。しかし、その統治の手法とでもいうべきものは、今後、一層研究されることになるかもしれない。

ところで、番組(録画)を見ながら感じたことは、NHKでも、スターリン批判をここまで放送するようになったか、という感慨めいたものである。1955年生まれの私としては、スターリン批判を直接に記憶しているわけではない。だが、社会主義の正義を体現した国としてのソ連という国があった時代、そのように人びとに思われていた時代、冷戦時代を記憶している。その時代にあって、スターリンもまた、ある一定の評価はなされていたように思う。今日のようなスターリン批判が可能になったのは、東西冷戦終結を受けてという印象を持つ。だが、それは、同時に、今日のロシアにおける、スターリン再評価にもつながっていることになる。

また、番組は、ルーマニアのチャウシェスク大統領の最期の時の映像からスタートしていた。これも、印象的である。例えば、旧ユーゴスラビアなど東欧諸国は、ある時期の日本においては、ある種の理想として語られていたという記憶がある。ソ連でもない、中共(もうこんな言い方しないだろうが)でもない、あるべき姿としての東欧のユーロコミュニズムが、理想とともに語られていた。旧ユーゴスラビアのチトー大統領は、理想化されていたように記憶している。その理想も、今では、無かったかのごとくである。

スターリン批判の検証も必要と思うが、東欧ユーロコミュニズム礼賛もきちんと今日の眼から検証しておくべきだと感じている。

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