『原民喜』梯久美子2018-08-11

2018-08-11 當山日出夫(とうやまひでお)

原民喜

梯久美子.『原民喜』(岩波新書).岩波書店.2018
https://www.iwanami.co.jp/book/b371357.html

梯久美子の本では、『狂うひと-「死の棘」の妻・島尾ミホ-』を読んだ。もう去年のことになるだろうか。

梯久美子.『狂うひと-「死の棘」の妻・島尾ミホ-』.新潮社.2016
http://www.shinchosha.co.jp/book/477402/

特に読み比べる気はないのだが、強いて比較するならば、『狂うひと』の方が、評伝としては、はるかに面白い。重厚でもある。それに比べると、新書本という形式にもよるのだろうが、どうも、人物像への掘り下げ方が浅い気がしてならない。

とはいえ、原民喜といえば、『夏の花』に代表される、原爆の作家というイメージが定着している……まあ、私などはそう思っているのだが……ところに、その生いたち、特に少年時代、文学少年、文学青年というべき時期のことが、書いてあってこれは興味深いものであった。

原民喜は、本来は多感な抒情詩人なのである……このように理解していいのかもしれない。

それから、この評伝は、その死……自死……の時のことかから書き起こされている。

「死の側から照らされたときに初めて、その人の輪郭がくっきりと浮かび上がることがある。原は確かにそんな人のうちのひとりだった。」(p.14)

だが、この評伝において、なぜ、彼がそのような死をとげることになったのか、ここのところには踏み込んでいない。しかし、その最期のときのことから書き起こすことによって、死とともにあった原民喜という作家の輪郭がはっきりしてくることは確かである。

それから、この評伝を読んでいって印象的なのが、『鎮魂歌』である。この作品にふれて、著者(梯久美子)はこう書いている。

「「夏の花」で抑制的に描かれた原爆の死者たちは、ここでは原自身の魂に突き刺さり、存在を根底から揺さぶるものとして、饒舌に語られる。」(p.226)

『鎮魂歌』は、昭和二四年である。(『夏の花』は、昭和二〇年のうちに書かれている。)

原爆の被災についての、怒り、悲しみ、といった感情が、文学的に形をとるまでには、数年の歳月を要したということなのであろう。逆に言えば、その直後には、怒りや悲しみなどの感情は、極度に抑えられている(『夏の花』)。

『夏の花』を読んだ印象で、『鎮魂歌』に接するとき、原爆の悲劇の大きさというものを、再確認することになる。

ともあれ、原爆文学(このような言い方がいいのかどうかわからないが)としての原民喜のみではなく、極めて繊細な感性を持った抒情詩人としての原民喜という側面のあったことを、この評伝は教えてくれる。