『AI VS. 教科書が読めない子どもたち』新井紀子2018-10-08

2018-10-08 當山日出夫(とうやまひでお)

AI VS. 教科書が読めない子どもたち

新井紀子.『AI VS. 教科書が読めない子どもたち』.東洋経済新報社.2018
https://store.toyokeizai.net/books/9784492762394/

話題の本ということで読んでみたものである。夏休みのはじめごろに読んだのだが、そのままになっていた。思うことをいささか。

第一は、AI(人工知能)に「シンギュラリティ」は無理である、という著者の主張に、納得できる。いやそうでではない、という人工知能研究者もいるかもしれないが、この本を読む限りでは、「シンギュラリティ」は無理である。

これは、私の専門の分野……日本語の文字ということになるが……そのコンピュータによる判読という研究領域と関係する。今、AIの技術をつかって文字、特に、古文書、古典籍などの、くずし字、変体仮名を読めるようにしようと研究がすすんでいる。

これに対して、私の思うところは、否定的である。人間は、文字だけを、図形だけを見ているのではない。文章を読んでいるのである。あるいは、ある書式を持った文書を読んでいるのである。文字の認識ということと、ことばの認識、さらには、文書の認識ということは、きりはなせない。

ただ、図形画像の認識技術だけをいくら向上させても、文章を、文書を、読めるようにはならないだろう。

第二は、この本のむしろメインで主張したいことであると思うのだが……昨今の、子どもたちの学力の低下である。文章が読解できない。問題が与えられても、その問題が分からない以前に、その問題文が理解できない。

近年の大学生の学力低下ということは、私も、狭い経験ながら、感じていることである。

一方で、人工知能は、東大の入試は無理でも、MARCHレベルの入試問題ならクリアできるところまで達している。では、このような時代の近い将来、子どもたちの教育はいかにあるべきか、ここのところが、この本の一番いいたいところであると理解して読んだ。

以上の二点が、この本を読んで感じたところである。

これは幻想なのであろうか……日本という国は、「教育」ということには、コストを惜しむ社会ではなかった……このようなイメージがあったのだが、それも、諸外国の事例など見ると、どうやらあやしいという感じになってきている。ともあれ、これからの日本にとって一番大事なのは、「教育」である。「教育」こそが、我が国の将来を決める。

この本、夏休みになって、試験の採点などが終わってから読んだかと憶えているのだが、「教育」ということの重要性をつくづくと感じたものである。