『西郷どん』あれこれ「江戸無血開城」2018-10-09

2018-10-09 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年9月30日、第37回「江戸無血開城」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/37/

前回は、
やまもも書斎記 2018年9月25日
『西郷どん』あれこれ「慶喜の首」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/09/25/8964800

この回、日曜の放送の予定であったが、台風のために中止になってしまった。私は、BSではやい時間に見ていた。その時に思ったことなど書いておくことにする。ただし、このブログへの掲載は、次の週のNHK総合での放送が終わってからとしておく。

江戸の無血開城は、幕末・維新のドラマにおいては、一つの見せ場である。どのように描くか、その興味で見ていた。

結局のところ……西郷としては、どうしても慶喜の首が欲しい。しかし、江戸の街で戦争を起こして、一般の人びとをまきこむことはさけたい。民を思う気持ちが西郷の胸の底にはある。そこで、苦渋の決断として、無血開城ということになった。まあ、これまでの、西郷という人物の描き方からみれば、妥当なところだろう。

西郷と勝の直談判の場面は、これまでのドラマなどにおいても多く描かれてきているところである。どうも、勝海舟が、徳川を背負って登場しているという感じがしなかった。これまでこのドラマで、勝海舟がなぜ幕府を代表することになるのか、そこのところの経緯が全く描かれてきていない。なぜ、慶喜は勝にすべてを託することになったのか、ここの部分に踏み込んだ描写があってもよかったのではないだろうか。

それから、慶喜もまた、大阪から江戸に逃げ帰ったのは、英仏の代理戦争に巻き込まれるのを避けるためであると語っていた。これは、これでいいとして、では、その後の、戊辰戦争のゆくすえと、諸外国との関係をどう見ればいいのだろうか。

このドラマ、西郷隆盛という「官軍」の側から見ている。これはこれでいいとしても、もうちょっと他の視点からの歴史というものがあってもいいように思われる。今の我々は歴史の結果として、西郷が勝利することを知っている。だが、江戸城攻撃、それから、戊辰戦争にいたる過程においては、その勝敗の帰趨は、そう定かではなかったかもしれない。別の視点から見れば、また、歴史も違って見えてくるだろう。

江戸無血開城という出来事は、やはり歴史の大きな転換点であったと思う。ここで、江戸の街と江戸城が無傷で残らなかったら、あるいは、戊辰戦争のゆくえがちがったものになっていたとしたら、日本の歴史は大きく異なっていただろう。

歴史の結果を知っている現代の目から見て、この回で描かれた江戸無血開城は、それなり理解できるものではあった。しかし、さらに、その当時の人びとの視点……それも、官軍と幕府だけに限らず、多様な視点……それを、持ち込んでもよかったのではないだろうか。

追記 2018-10-16
この続きは、
やまもも書斎記 2018年10月16日
『西郷どん』あれこれ「傷だらけの維新」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/10/16/8974594