『保守と大東亜戦争』中島岳志2018-10-11

2018-10-11 當山日出夫(とうやまひでお)

保守と大東亜戦争

中島岳志.『保守と大東亜戦争』(集英社新書).集英社.2018
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0941-a/

集英社新書で出た本ということもあって、気楽に読んだ本である。特に目新しいことが書いてあるということはない。しかし、この本に書かれているようなこと踏まえたうえで、歴史の議論はなされるべきだろうと思う。

この本を読んで思うことなど書くとすると、次の二点。

第一には、著者ならではの「保守」の論理にしたがっている。「保守思想」について、まず定義がある。

著者(中島岳志)が、大学にはいってから手にした西部邁を引用する。

「自由民主主義は保守主義であらざるをえない」

さらにつづけて、このように著者(中島岳志)は記している。

「保守は人間に対する懐疑的な見方を共有し、理性の万能性や無謬を疑います。そして、その懐疑的な人間観は自己にも向けられます。自分の理性や知性もパーフェクトなものではなく、自分の主張の中にも間違いや誤認が含まれていると考えます。その自己認識は、異なる他者の意見を聞こうとする姿勢につながり、対話や議論を促進します。そして、他者の見解の中に理があると判断した場合には、協議による合意形成を進めていきます。」(p.18)

このような心性のありかたこそ、リベラルであるとする。これはこれで一つの立場であると認める。

このような意味では、現在の政権の政策などは、「保守」「リベラル」から最も遠いものであるということになるであろう。

第二には、このような「保守」の心性を持った人びとが、戦前・戦中の時期にどのような、言論活動をおこなったかをみていくことになる。

取り上げられているのは、
竹山道雄
田中美知太郎
猪木正道
福田恆存
池島信平
山本七平
会田雄次
林健太郎
などである。

これらの人びとの言説をとりあげながら、「保守」の心性をもった人間こそが、戦争に反対していたと論じる。

ここのところ、特に目新しい議論というわけではない。だが、改めて、この本に示されているような形で提示されると、なるほど、「保守」とは、現実の政治の動きに抵抗し、歴史と伝統のなかに自己の立脚点を見いだす……このようなことが再確認される。

以上の二点が、この本を読んで感ずることなどである。

無論、戦前、戦中において、戦争に反対した立場をとったのは、「保守」だけに限らないであろう。だが、今の時代において、「保守」といえば、ただ戦前回帰、大東亜戦争肯定論、このように考えがちな傾向に対しては、ちょっと待って考えてみようとすることになる。

この本からすこし引用しておくと、鶴見俊輔について、次のように述べる。

「鶴見の指摘は非常に重要です。戦前の日本は保守的だったから権威主義体制を拡大させ、全体主義的なヴィジョンにのめり込んでいったのではありません。逆です。近代日本における保守の空洞化こそが、大東亜戦争に至るプロセスを制止できなかった要因なのです。」(p.67)

戦前の歴史について、さらに考えてみることの必要性をつよく感じさせる本である。