『西郷どん』あれこれ「新しき国へ」2018-11-06

2018-11-06 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年11月4日、第41回「新しき国へ」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/41/

前回は、
やまもも書斎記 2018年10月30日
『西郷どん』あれこれ「波乱の新政府」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/10/30/8985666

明治篇になって、新しくはじまったドラマとしてみれば、それなりにうまくつくってある。明治になってからの各種のエピソードをちりばめながら、それをつないで見せる。どのシーンも、なるほどと思わせるつくりになっている。この意味では、このドラマの明治篇は、成功しているといっていいだろう。

だが、一年を通して見てきた目からすると、どうにもいただけない。

「西郷」は、近代の日本を建設した。だが、その近代の実際の姿は、思い描いていたようなものではなかった。これはこれでいいとして、では、幕末の時期に、どのような来たるべき日本の近代を思い描いていたというのだろう。確かに島津斉彬は先見の明があった。が、その斉彬が、どのような国家の将来をイメージしていたのか、これまでまったく描いてきていない。

それを思って見るならば、西郷と久光とのシーンなど、なんとなく白々しい。

幕末の時期において、諸外国の圧力の強まるなか、将来の日本の姿をどう考えていたのか。斉彬のみならず、慶喜も最後の将軍として幕府の次にきたるべきものをどうかんがえていたのであろうか。また、(このドラマでは描かれていないが)草莽の臣たちはどう思っていたのだろうか。ここのところが、このドラマで、まったく出てきていない。

ただ、このドラマで興味深いのは、明治天皇を登場させたことだろうか。ドラマに登場した明治天皇の姿については、賛否両論あるかもしれない。しかし、明治の草創期に明治天皇のはたした役割というものはある。

ドナルド・キーンの『明治天皇』(新潮文庫版、四巻)は、今年になって読んだ。

やまもも書斎記 2018年1月20日
『明治天皇』(一)ドナルド・キーン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/20/8773017

ともあれ、明治篇になって、新しく始まったドラマとして見れば、これはこれで面白い。次回は、征韓論の一件になるようだ。このあたりも、ステレオタイプのドラマになるのだろうと思うが、これはこれでいいと思う。西南戦争に向けて、「近代」と「反近代」を内包したアンビバレントな「西郷」をどう描いていくか、次回も見ることにしよう。

追記 2018-11-13
この続きは、
やまもも書斎記 2018年11月13日
『西郷どん』あれこれ「両雄激突」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/13/8997195