『まんぷく』あれこれ「お塩を作るんですか!?」2018-11-11

2018-11-11 當山日出夫(とうやまひでお)

『まんぷく』第6週「お塩を作るんですか!?」
https://www.nhk.or.jp/mampuku/story/index06_181105.html

前回は、
やまもも書斎記 2018年11月4日
『まんぷく』あれこれ「信じるんです!」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/04/8990839

今回の見どころは、萬平流の塩作りだろう。

だが、これははたして成功するのだろうか。もし、成功していたら、鉄板式製塩法とでもいうようなものが今日に残っていそうなものであるが……寡聞にして知らない。また、何よりも気になるのは、鉄板に海水をかけるわけだが、錆はどうするのだろうか。すぐに鉄板が錆び付いてきて、その処理が大変になるような気がする。

この製塩業がうまくいくのかどうか、もし、大成功ということなら、その後のインスタントラーメンの発明はなかったかもしれない。であるならば、そこそこの仕事にはなったかもしれなが、大成功ということにはならないのだろう。

また、塩の専売の許認可のことも出てきていたが、ここのところは大丈夫なのだろうか。

どうでもいいようなことかもしれないが……塩作りのために集まった男たち、全員に名前がついている。ひょっとすると、そのうち何人かは、その後の萬平の仕事にかかわることになるのかもしれない。ここは、その他おおぜいの男たちということではなく、きちんと役に名前がついている脚本の丁寧なつくりを見ておきたいと思う。

次週も塩作りは続くようである。楽しみに見ることにしよう。

追記 2018-11-18
この続きは、
やまもも書斎記 2018年11月18日
『まんぷく』あれこれ「私がなんとかします!」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/18/9000126

『失われた時を求めて』岩波文庫(5)2018-11-12

2018-11-12 當山日出夫(とうやまひでお)

失われた時を求めて(5)

プルースト.吉川一義(訳).『失われた時を求めて 5』ゲルマントのほうⅠ(岩波文庫).岩波書店.2013
https://www.iwanami.co.jp/book/b270831.html

続きである。
やまもも書斎記 2018年11月10日
『失われた時を求めて』(岩波文庫)(4)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/10/8995254

やっと5巻目である。この巻で、また舞台は変わる。岩波文庫では、「ゲルマントのほう」が三分冊に編集してある。

この巻を読んで感じるところを記せば次の三点であろうか。

第一には、フランスの一九世紀末の貴族というもの。「貴族」ということについては、歴史的知識としては知っている。だが、その「貴族」を実感するということがあまりなかった。この巻に出てくるゲルマント公爵夫人あたりの描写を読んで、なるほど、こういう人びとのことを「貴族」というのか。それも、フランス革命の後の一九世紀末のフランスにおいて……このようなことが強く印象に残った。

第二には、やはり、『失われた時を求めて』を読んで感じることであるが、眠りの描写である。この巻でも、眠りについて書かれた箇所がいくつかある。睡眠にはいるときの、あるいは、目覚めるときの、意識の流れをこまやかに描写してある。こういうところを読むと、この作品は、二〇世紀になってからの小説なのであるということを感じる。

第三は、ラシェルの登場。この女性もまた魅力的に描かれている。特に、ナシの花の描写とともに、印象的である。

以上の三点が、この巻を読んで印象にのこっているところである。

さらに加えるならば、やはり、ドレフェス事件のことがある。この事件のことについて、歴史的な知識として知ってはいる。だが、この事件が、フランスという国において、どのような歴史的、社会的、文化的な意味があるのか、ということについては、ほとんど知らないできた。『失われた時を求めて』を読むことによって、この事件が、一九世紀末のフランスにおいて、社会的な大事件であったことが、納得いく。

次は、第6巻である。楽しみに読むことにしよう。

追記 2018-11-15
この続きは、
やまもも書斎記 2018年11月15日
『失われた時を求めて』岩波文庫(6)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/15/8998999

『西郷どん』あれこれ「両雄激突」2018-11-13

2018-11-13 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年11月11日、第42回「両雄激突」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/42/

前回は、
やまもも書斎記 2018年11月6日
『西郷どん』あれこれ「新しき国へ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/06/8992129

明治篇も、ここまで見た感じでは、歴史上のエピソードをつなぐようなつくりになっている。これはこれでいたしかたのない面もあるのかもしれないが、しかし、ドラマとしてはつまらない。

なぜか、それは、江戸時代を終わらせ、近代を築いていくことになる、大きな歴史の物語が見えてこないのである。

今の我々は歴史の結果を知っている。征韓論があり、西郷は下野する。そして、大久保を中心とした明治国家の建設がある。それに対する、不平士族の反乱があり、その最後が西南戦争ということになる。そして、西郷は死ぬことになる。

このような歴史の経緯を知った上で、では、その歴史の激動のなかで、個々の人びとは、変わりゆく世の中で、何を感じ、どう生きてきたのか、そこのところの歴史の物語が、このドラマからは感じられないのである。

強いていえば、大久保のめざした近代(富国強兵路線というべきか)と、西郷の考える近代(農本主義的というべきか)との対立、このように理解することができるのかもしれない。だが、この対立する二つの近代が、説得力を持って描かれているとは感じられない。岩倉使節団の派遣中に、数々の改革をなしとげた西郷も、これはこれとして、近代を推し進めた人物の一人にちがない。その西郷にとっての近代とは、いかなるものであったのか。

歴史学ではない、歴史ドラマには、大きな歴史の物語が背景に必要だと私は思っている。たとえ、その歴史観に、賛否あるとしても。このドラマ、役者の熱演はわかるのだが、しかし、歴史ドラマとして肝心な何かが欠如しているとしか、私には思えないのである。

それから、岩倉使節団の意義については、今日の歴史学では、もうちょっとちがう評価がされているように思うのだが、ここのところも気になったところである。

追記 2018-11-20
この続きは、
やまもも書斎記 2018年11月20日
『西郷どん』あれこれ「さらば、東京」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/20/9000952

センニンソウ2018-11-14

2018-11-14 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日なので花の写真。今日はセンニンソウである。

前回は、
やまもも書斎記 2018年11月7日
ムラサキシキブの実
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/07/8993783

我が家の裏手の生け垣にからまるようにして、白い花の咲いているのが見えた。WEBで確認してみると、センニンソウというらしい。漢字で書くと「仙人草」である。

日本国語大辞典(ジャパンナレッジ)を見る。

キンポウゲ科のつる性多年草。各地の原野、路傍に生える。(中略)葉柄はまがりくねって他物にからむ。七〜九月頃、茎頂および葉腋に一〜数本の円錐花序をだし、径二〜三センチメートルの白色の四弁花を上向きにつける。

とあり、さらに説明がある。

用例としては、大和本草(1709)、日本植物名彙(1884)にある。

この説明によると、花の時期は一般的にはもっと早いようだ。我が家で咲いているのは、遅い開花になるらしい。

数日の間、朝に写す花の写真として、撮ったものである。この花、クローズアップでとると、きれいな形をしていることがわかる。また、ちょっと距離をおいて、白い花が、群がって咲いている様子もまたいい。

この花の名前は、『言海』には載っていない。

センニンソウ

センニンソウ

センニンソウ

センニンソウ

センニンソウ

Nikon D7500
AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR
AF-S Micro NIKKOR 105mm f/2.8G ED VR

追記 2018-11-21
この続きは、
やまもも書斎記 2018年11月21日
ソヨゴ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/21/9001338

『失われた時を求めて』岩波文庫(6)2018-11-15

2018-11-15 當山日出夫(とうやまひでお)

失われた時を求めて(6)

プルースト.吉川一義(訳).『失われた時を求めて 6』ゲルマントのほうⅡ(岩波文庫).岩波書店.2013
https://www.iwanami.co.jp/book/b270832.html

続きである。
やまもも書斎記 2018年11月12日
『失われた時を求めて』岩波文庫(5)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/12/8996148

岩波文庫版では、「ゲルマントのほう」を三分冊にしてある。この第6巻は、「一」の承前と、「二」の始めのところである。

この巻の見どころとして感じたのは、次の二点。

第一に、ヴィルパリジ侯爵夫人のサロンの描写。

たぶん、このところについて、この作品の書かれた歴史的社会的文化的背景について十分な知識があって読むならば、とても面白い、諧謔にとんだ場面になっているのだろう。だが、私としては、訳本の注にしたがって理解するのがせいぜいである。だが、そのようにして読んでいっても、サロンでの会話は、ある意味で戯画化したような面白みが感じられる。

しかし、「訳者あとがき」を読むと、ただこのサロンの描写は戯画的なだけではないようである。

「『ゲルマントのほう』が提示するものも、『失われた時を求めて』の他の箇所と同じくあくまでも精神のドラマなのである。」(p.403)

第二には、祖母の死。

人の死を美しく描写した作品としては、私などは『白痴』(ドストエフスキー)などを思い浮かべるのだが、この『失われた時を求めて』における祖母の死の描写も、また印象深いものがある。この作品は、意識の流れを描いている。この意味において、祖母が死んでいく「過程」を、「私」の意識の流れのなかに描いていると言っていいのだろう。

以上の二点が、この第6巻を読んで印象に残っているところである。

ふと思って、『失われた時を求めて』を読み始めてしまったのだが、どうやらこの作品のとりこになってしまっているようである。他の小説類に手を出そうという気がしないでいる。(気になる本は、買ったりしてはいるのだが。)

ところで、この作品『失われた時を求めて』は、1913年から刊行がはじまったとある。第一次世界大戦のはじまりが、1914年である。まさに歴史の動乱期に、この作品は、その一つ前の、一九世紀末のフランスを舞台に描いている。このあたりのことが、プルースト研究では、どのように考えられているのか……門外漢である私は知らない。しかし、作者の文学的想像力・創造力は、第一次世界大戦によってこうむった社会の変化を……それは、失ったものへの喪失感であるのかもしれないが……その作品の背景にとらえているような気がしてならない。

次は、第7巻である。楽しみに読むことにしよう。

追記 2018-11-17
この続きは、
やまもも書斎記 2018年11月17日
『失われた時を求めて』岩波文庫(7)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/17/8999730

『唐牛伝』佐野眞一2018-11-16

2018-11-16 當山日出夫(とうやまひでお)

唐牛伝

佐野眞一.『唐牛伝-敗者の戦後漂流-』(小学館文庫).小学館.2018 (小学館.2016 加筆)
https://www.shogakukan.co.jp/books/09406579

文庫版になって、かなり加筆してある。今、プルーストの『失われた時を求めて』を読んでいる(岩波文庫版)。これを読んでいると、他の小説類を読もうという気がおこらなくなる。買ってはある作品はあるのだが、それはあとまわしにする。そして、『失われた時を求めて』を読む合間に、ノンフィクションということで、手にしたものである。

唐牛健太郎、60年安保闘争の時の、全学連委員長である。この作品は、その出自から、北海道大学への進学、60年安保とのかかわり、そして、メインは、その後の彼の人生のゆくすえと、それにまつわる幾多の人びとの足取りである。

私がこの本を読んで感じるところは次の二点。

第一には、60年安保の持つ意味である。安保闘争に参加した側も、また、逆に、岸信介の側にも、それぞれのよってたつところがある。が、それに通底するものして、ナショナリズムがある。アメリカからの、あるいは、ソ連、および、共産党からの、自立……この視点にたって考えてみるならば、双方ともに、ある種のナショナリズムを共有していたというべきかもしれない。

だが、この本では、ここのところこにはあまり踏み込んで記述がない。それよりも、60年安保闘争を戦った人びとのその後の人生をおっている。

第二に、印象的なのは、彼らのその後の人生である。

主人公である唐牛健太郎にしても、その後の人生にかかわりをもった人物としては、田中清玄、田岡一雄、徳田虎雄などがいる。唐牛自身も、様々な職をわたりあるく。居酒屋、オフコンのセールスマン、北海の漁師、などなど。

以上の二点が、印象に残るところである。

唐牛の人生をたどりながら、筆者(佐野眞一)は、60年安保の意味を問いかけている。そして名前の出てくるのは、丸山眞男であり、吉本隆明でもある。(が、ここのところに踏み込んではいないのだが。)

結局は、60年安保の意義について、きちんと歴史的に位置づけることをしてこなかった、そのつけが、現在の政治と政権の無残な状況につながっていく、このように言いたいように感じる。60年安保を起点として、その後の日本の社会、政治を考えようとするとき、唐牛健太郎という人物にいきつくのかもしれない。その後、決して社会の表面に出て活躍しようとはしなかったが、その人生をたどると、おのずと、日本の歩んできた道、そのゆがみのようなものが浮き上がってくる。

さて、次には、西部邁の『六〇年安保』を読んでおこうかと思っている。なお、この文庫版の解説を書いているのは川本三郎。

『失われた時を求めて』岩波文庫(7)2018-11-17

2018-11-17 當山日出夫(とうやまひでお)

失われた時を求めて(7)

プルースト.吉川一義(訳).『失われた時を求めて 7』ゲルマントのほうⅢ(岩波文庫).岩波書店.2014
https://www.iwanami.co.jp/book/b270833.html

続きである。
やまもも書斎記 2018年11月15日
『失われた時を求めて』岩波文庫(6)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/15/8998999

この巻で、やっと半分である。岩波文庫版では一四巻になる予定。現在、一二巻まで刊行。

読んで感じるところは次の二点だろうか。

第一には、この巻の始めの方のアルベルチーヌのとの恋。

つぎのような箇所。

「アルベルチーヌの頬に接吻できると知ることは、私にとって頬に接吻する歓び自体よりも一段と大きな歓びだったかもしれない。」(p.56)

そして、実際に接吻の後には次のようにある。

「こうした不愉快な兆候によって私は、とうとう自分がアルベルチーヌの頬に接吻しているのだと悟った。」(p.63)

ここに描かれているのは、恋そのものよりも、恋についての意識である。

第二には、ゲルマント公爵夫人の晩餐会の様子。

この部分は、はっきり言って難渋したところであるが、しかし、それでも、その晩餐会での貴族たちの会話のやりとりのなかに、はいりこんでしまうことに気付く。何を言っているのか、注釈を読んでもよくわからない。だが、分からないなりに、その会話の雰囲気とでもいうべきもののなかに包み込まれていく読書体験がここにはある。

以上の二点が、この巻で印象に残るところである。

そして、最後のところでスワンのその後を感じさせる描写でおわっている。

ふとおもいたって読み始めた『失われた時を求めて』である。ここまで読んだら最後まで読んでおきたい。岩波文庫版では一二までしかない。未刊の部分は、集英社文庫版で読むことになるだろうかと思う。ここしばらくは『失われた時を求めて』の世界のなかにひたっている毎日である。

追記 2018-11-19
この続きは、
やまもも書斎記 2018年11月19日
『失われた時を求めて』岩波文庫(8)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/19/9000570

『まんぷく』あれこれ「私がなんとかします!」2018-11-18

2018-11-18 當山日出夫(とうやまひでお)

『まんぷく』第7週「私がなんとかします!」
https://www.nhk.or.jp/mampuku/story/index07_181112.html

前回は、
やまもも書斎記 2018年11月11日
『まんぷく』あれこれ「お塩を作るんですか!?」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/11/8995655

この週で描かれたのは、萬平には企業経営の才がない……ということだろうか。それにかわって、福子が、会社の面倒を見ることになる。

そもそも、会社の大事な商品の出荷を、赤の他人の世良にまかせていいのだろうか。しかも、専売局に売ったときの書類の確認もない。これでは、だまされてもしかたがない。

たくみなのは、福子である。世良が、ひそかに闇業者に横流ししていることをつきとめる。そこで、世良をとっちめることになるのだが……ここのところで、一ひねりしてある。

まず、商工会の会長(三田村)に接近する。そして、萬平のために出資させることに成功する。そのうえで、世良をこらしめるのではなく、縁をつないだ形で、うまくおさめた。たぶん、これからも、世良は、萬平たちの事業になんらかの形でかかわってくるのではないだろうか。また、三田村会長を味方にひきこんだ戦略が、これからの事業展開にどのように影響してくるのだろうか。

ところで、話しの傍流にはなっているが、姉・克子の夫の忠彦のこと。画業に専念するあまり自分のこともかえりみなくなる。それではいけないと反省して、家族のことを考えるようになる。この忠彦の存在が、これからの福子と萬平の人生にどのようにかかわってくるのか、気になるところである。

発明の才はあるが、事業には向いていない萬平と、それを支える福子という形で、これからのドラマは展開するのだろうと思う。塩の仕事は、次週もつづくようである。楽しみに見ることにしよう。

追記 2018-11-25
この続きは、
やまもも書斎記 2018年11月25日
『まんぷく』あれこれ「新しい冒険!?」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/25/9003012

『失われた時を求めて』岩波文庫(8)2018-11-19

2018-11-19 當山日出夫(とうやまひでお)

失われた時を求めて(8)

プルースト.吉川一義(訳).『失われた時を求めて 8』ソドムとゴモラⅠ(岩波文庫).岩波書店.2015
https://www.iwanami.co.jp/book/b270834.html

続きである。
やまもも書斎記 2018年11月17日
『失われた時を求めて』岩波文庫(7)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/17/8999730

八巻目になった。この巻を読んで印象に残っているのは、次の三点。

第一には、同性愛のこと。

この「ソドムとゴモラ」の巻になって、いよいよ、本格的に同性愛ということがテーマとして浮上してくる。これを今日の、二一世紀初頭の感覚から読んでみるならば、すこしまどろっこしい描写かなと感じないではない。現代であるならば、もっとストレートな表現をとるだろう。

だが、プルーストがこの『失われた時を求めて』を書いた、ほぼ一世紀前の二〇世紀初頭においては、これはこれで、きわめて大胆なテーマであり描写であったのであろう。

「訳者あとがき」でも触れられていることだが……この作品中の同性愛(男性)については、相手のうちに「女性」を認識することでなりたっている、そのように理解される部分がある。このような箇所など、今日の感覚からすれば、逆に違和感を感じるところでもある。

第二には、ユダヤ人とドレフェス事件のこと。

この巻でも、ユダヤ人問題、そして、ドレフェス事件のことがとりあげられている。このあたりは、日本人の感覚では、今ひとつ理解のおよばないところのように感じる。だが、プルーストがこの作品を書いた当時のフランスにあっては、これらのことは、社会の喫緊の課題であったにちがいないことは、読みながら理解される。

第三には、祖母についての回想。

死んだ祖母のことを回想するシーン。この作品を読むと、人の死というものが、死そのもの事実としてよりも、その後に、回想されることによって、まさに想像力のなかに死を描き出すことによってこそ、死というものを実感する。このあたりの感覚というのは、プルーストならではのものなのであろう。

以上の三点が、この巻を読んで印象に残っているところである。

次は、第九巻になる。楽しみに読むことにしようと思う。

追記 2018-11-22
この続きは、
やまもも書斎記 2018年11月22日
『失われた時を求めて』岩波文庫(9)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/22/9001753

『西郷どん』あれこれ「さらば、東京」2018-11-20

2018-11-20 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年11月18日、第43回「さらば、東京」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/43/

前回は、
やまもも書斎記 2018年11月13日
『西郷どん』あれこれ「両雄激突」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/13/8997195

このドラマ、頑張って作っていることは分かるのだが、今ひとつ共感できないところがある。前回も書いたことだが、「歴史」のドラマになっていないのである。あるいは、西郷の目指した新しい日本の近代の姿が見えない、ともいえる。

大久保の方針は明確である。富国強兵路線である。これはいいとしても、では、西郷の目指した日本の近代とはどんなものであったのだろうか。これが、曖昧、あるいは、観念的にすぎる。民とともにある、ということは理解されるのだが、では、具体的な政策として何をどうするのか、そこが見えていない。

まあ、実際の歴史学の方面からしても、西郷がどのような近代国家を構想していたかは、いろいろ難しい問題のあるところだろうとは思う。

朝鮮との問題において、西郷の言っていたこと、現地の居留民の保護……これこそ、西郷のめざした近代国家の基本になるところなのだろうが、これも、ただエピソードとして出てきただけで終わってしまっていた感じである。

ドラマでは、軽くナレーションで過ごしてしまったところ(先週)であるが、地租改正などは、西郷のやった仕事になるだろう。これなど、近代国家の基本をつくった重要な政策であるはずだが、ここのところを掘り下げることはなかった。ここで、たとえば、(もう登場しなくなってしまったが)ふきなどの視点からみるとどうなのであろうか。あるいは、西郷が住んでいる長屋の住民たちにとって、御一新とは何であったのか、描こうと思えば、材料になるものは、みつかるはずである。

とはいえ、明治国家の枢要に位置することになる大久保と、鹿児島に帰ることになる西郷、この両名のドラマとしてみれば、それなりに面白かったといえる。ただ、これが、西郷と大久保の人間関係のドラマになってしまっていて、「歴史」が見えてこないのが、残念なところである。

下野後の西郷の行動については……最終的には、西南戦争にいたる……現代においても、なお、解釈の難しいところだろうとは思う。

次回以降、士族の反乱になるようである。楽しみに見ることにしよう。

追記 2018-11-27
この続きは、
やまもも書斎記 2018年11月27日
『西郷どん』あれこれ「士族たちの動乱」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/27/9003784