『西郷どん』あれこれ「西南戦争」2018-12-11

2018-12-11 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年12月9日、第46回「西南戦争」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/46/

前回は、
やまもも書斎記 2018年12月4日
『西郷どん』あれこれ「西郷立つ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/12/04/9006674

もうこのドラマも終わりである。次回で最終回。西南戦争にもうちょっと時間をかけるかと思っていたが、案外とあっさりと終わってしまった。田原坂の激戦、抜刀隊のことなど、これだけでも一回をつかってよかったのではないか。

このドラマ、西郷隆盛という人物を描いてきたのだが、それに成功したかどうかとなると、やはり、微妙なところがあると感じるところがある。

第一には、等身大の西郷という人物。家庭人であり、武士である。

第二には、明治維新にあたって、日本をになうことになる「西郷」という人格。

この二つが、西郷隆盛という人物の中に共存している。そして、一般には、「西郷」という人格で語られがちな西郷隆盛の、普通の人間としての側面を、このドラマでは描いてきている。特に、妻・糸との関係などである。

これがドラマとして成功したかどうかは、判断が難しい。

ところで、この回になって、西郷の呼び方が「西郷様」で出てきた。その前からは「西郷先生」になっていた。「西郷どん」から「西郷先生」さらに「西郷様」へと呼称が変わるところに、明治初期において、西郷のたどったあゆみが表現されているのだろう。

だが、なぜ西南戦争になってしまったのか、なぜ全国の不平士族の中心的存在になったのか、また、なぜ西南戦争に負けることになってしまったのか、このあたりのことが、ナレーションで済まされてしまっていたように思う。ただ、政府軍が強かったというだけではなく、西郷側の戦略的視点の欠如ということもあったろう。

ここは、「西郷」という人格を描くことにおいてのこのドラマの限界のようなものを感じないではない。

歴史としては……勝った政府軍でもなく、敗れた西郷軍でもなく、明治維新という激動の中で生きてきた多くの人びとに対する目配りがあってもよかったように思う。特に、旧幕臣、戊辰戦争の敗者たちのような視点を持ち込むことによって、より総合的な歴史の流れを描くことができたかもしれない。

私がこここで思い浮かべるのは、司馬遼太郎ではなく、山田風太郎の明治小説なのであるが。

そうはいっても、いよいよ次回が最終回である。西郷の最期、それから、大久保の最期も出てくるのだろう。最終回まで見ておきたいと思う。

追記 2018-12-18
この続きは、
やまもも書斎記 『西郷どん』あれこれ「敬天愛人」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/12/18/9013253

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