『西郷どん』あれこれ「敬天愛人」2018-12-18

2018-12-18 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年12月16日、最終回「敬天愛人」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/47/

前回は、
やまもも書斎記 2018年12月11日
『西郷どん』あれこれ「西南戦争」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/12/11/9010741

最終回である。見た印象としては、最終回は力をいれてつくったなあ、というところか。どの役者も、その熱演が感じられた。

だが、西郷隆盛というのは、何をした人物なのか……ここのところになると、今ひとつはっきりしない。強いていえば、侍の時代を終わらせた人物、ということになるのであろう。それにかわって、新しい時代の日本を建設しようとしていたのが大久保ということになる。(まあ、これは、通俗的な理解かもしれないが。)

ところで、鹿児島には過去に二~三回ほど行ったことがある。城山に上ったりした。その時に印象に残っていることとしては、比較的朝の早い時間に行ったのだが、西郷関係の遺跡など、きれに清掃されて花が飾ってあったことである。たぶん、有志のひとがやっているのだろう。

西南戦争から、140年になる。いまだに、「西郷」という人物は、人を魅了してやまない。その魅力はいったどこにあるのだろうか。

このドラマは、明治になって一つの時代の象徴となってしまった「西郷」という人物と、等身大の(妻や家族の目から見ての)西郷隆盛という人間、この二つを描こうとしてきたように思える。それはそれとして、ある程度は成功したと言っていいだろう。

だが、歴史が見えてこなかった。幕末から明治にかけて、激動の時代に、それぞれの人物が何を思い、どう行動してきたのか、そこから見えてくる歴史というものが感じられなかった。ただ、幕末から明治にかけての時代を背景としてのドラマであったように思える。

この観点では、明治編になってからの、ドラマのオープニング映像が象徴的である。「坂の上の雲」をめざして上っていったのは、大久保ではなく西郷の方になっていた。が、はたして、西郷は「坂の上の雲」をめざしたのだろうか。

明治という時代になって、古くなってしまった侍の時代をごっそりと拭い去ってしまったのが、西郷のはたした役割とでもなるだろうか。これは、ナレーション(菊次郎)が語っていたことでもある。だが、これは、あまりに司馬遼太郎史観にたよりすぎているような気もする。

結局、私の見たところでは、司馬遼太郎史観を越える西郷のイメージを描くことにはならなかった。とはいえ、歴史のドラマとして見れば、それなりに面白かったとは思うが。

また、このドラマの脚本は、非常にわかりやすいものであったといえよう。見ていて、登場人物の次の台詞が予見できる場面がかなりあった。これは、いい意味で、平易なストーリー展開になっていたということである。

来年の大河ドラマは「いだてん」である。スポーツというものを通じて、「坂の上の雲」の時代、また、近代日本のナショナリズムを描くことになると思う。どのようなドラマになるか、これは、楽しみに見ることにしたいと思う。