『いだてん』あれこれ「敵は幾万」2019-02-26

2019-02-26 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん~東京オリムピック噺~』2019年2月24日、第8回「敵は幾万」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/008/

前回は、
やまもも書斎記 2019年2月19日
『いだてん』あれこれ「おかしな二人」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/02/19/9038000

結局、ストックホルムにむけて出発することになった、四三と弥彦。だが、この二人には、日本国を背負って戦いに臨むという意気込みはまったくない。これが、このドラマの意図なのだろう。

たしかに、新橋での見送りには、大勢の人がきていた。そして、日の丸の旗をふっていた。また、四三も、また、弥彦も、日の丸の縫い付けてあるユニフォームを贈られることになる。これを着て、オリンピックの開会式に臨み、また、競技に参加することになるのであろう。

だが、しかし、その日の丸は、四三が、また、弥彦が、自ら望んで得たものにはなっていない。四三の場合は、足袋屋の播磨屋の主人から贈られたものであるし、弥彦の場合は、その母親が渡していた。それぞれの場面で二人は感激していはいた。しかし、それは、日の丸に対してではない。ユニフォームを贈ってくれた、播磨屋であり、母親の気持ちに対してであった。

そして、新聞に載ったことば……日本国の代表として戦ってきますという意味のことば……これは、四三が自分自身で語ったことばではなかった。列車の中での記者の取材によって、でっち上げられたことばであった。

このドラマ、四三にせよ、弥彦にせよ、ことごとく、「坂の上の雲」のナショナリズムから遠いものとして描かれている。これが、このドラマの描かんとしているところであろうことは十分に理解できるつもりなのだが……明治の青年としてはどうかなという気がしないでもない。

たぶん、このナショナリズムから、また、ある意味で遠いところにいるのが、四三の同級生の美川であろう。『三四郎』を手にしながら、ストレイシープと言っている。彼もまた、明治のナショナリズムから無縁の存在である。

オリンピックに参加の費用についても、四三も、弥彦も、国家の援助はうけていない。義援金によってであり、自分の資金であったり、ともかくも、国家の援助によって、国家によって、オリンピックに出場するということにはなっていない。

あくまでも、個人として、オリンピックに参加することになる。だが、そうはいっても、見送りの人びとは、日の丸を振って送り出すことになっているのだが。

可能な限り、明治の「坂の上の雲」ナショナリズムを振り捨てて、このドラマは進行している。こうでもしないと、これからの日本とオリンピックの関係を、描ききれないという目算であるのだろうと推測する。この方針で、ベルリンのオリンピックをどのように描くことになるのだろうか。そのあたりを今から楽しみにしている。

それから、相変わらずなのが、四三の熊本方言。これも、明治のナショナリズムから遠いところに位置する彼を表していることになるのだろう。

追記 2019-03-05
この続きは、
やまもも書斎記 2019年3月5日
『いだてん』あれこれ「さらばシベリア鉄道」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/03/05/9043522