『いだてん』あれこれ「さらばシベリア鉄道」2019-03-05

2019-03-05 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん~東京オリムピック噺~』2019年3月3日、第9回「さらばシベリア鉄道」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/009/

前回は、
やまもも書斎記 2019年2月26日
『いだてん』あれこれ「敵は幾万」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/02/26/9040869

四三と弥彦は、シベリア鉄道でストックホルムへと向かう。この行きの行程を描いていた。

明治の終わり、日本で初のオリンピック参加となる四三と弥彦であるが、日本という国を背負って参加しているという感じがまったくしない。ナショナリズムを感じさせない、オリンピック参加の物語として、これは確かに異色であると思う。そして、私の見るところでは、この意図は成功していると感じる。(ただ、私は、ナショナリズムを悪いものとは思っていないのだが。)

さりげなく描いていたところであるが、ハルビンで下りた二人。ここで伊藤博文が暗殺されたことを思う。その当時の満州の情勢……各国列強の権益のひしめきあう土地として……描いていた。日露戦争に勝って「一等国」(このことばはこのドラマの中ではつかわれていなかったと思うが)になった日本であるが、しかし、実際に満州の地においては、まだ弱小な存在にすぎない。

シベリア鉄道での旅行は、まさに珍道中としかいいようのないものである。ここをコミカルに、しかし、日本人としての自信を持ったものとして描いてみせたこの回は、私は、実にうまいと思う。日本人はあくまでの日本人である。いたずらに西洋人のマネをして、恰好だけとりつくろってもしかたがない。ただ、ありのままの日本人として、オリンピックに参加して、競技に全力をつくせばいいのである……このような意味のことを、四三は日記に綴っていた。

これは、現代のオリンピックに対する、痛烈な風刺である。一〇〇年以上前のオリンピック、しかも、日本人として初参加のオリンピックを描くことによって、メダルの数を競い、また、商業主義化した、現代のオリンピック……その2020年の東京大会は、もう来年である……を、痛烈に皮肉っている。このようなところが、このドラマの脚本の意図しているところなのであろう。

ところで、この回の最後に出てきた、ストックホルムのオリンピックのスタジアム、これは、その当時のものがそのまま残っているのを使っているはずである。これは、たまたまそうであったということなのかもしれないが、しかし、日本において、新しい国立競技場の建設をめぐる問題を考えるとき、これもまた、来年の2020年の東京大会への批判的まなざしを感じてしまう。

最後に四三は、日の丸が掲揚されることを願う。だが、ここまでこのドラマを見てきて、そのようなことはもうどうでもいいと感じる。ただオリンピックに参加して、マラソンを完走してくれればいい、そのように感じさせた。

そして、シベリア鉄道でも、ストックホルムについてからでも、熊本方言でおしとおしている四三のことばは、故郷の熊本にいるスヤとつながっている。

追記 2019-03-12
この続きは、
やまもも書斎記 2019年3月12日
『いだてん』あれこれ「真夏の夜の夢」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/03/12/9046269

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