『今昔物語集』(二)新日本古典文学大系2019-03-18

2019-03-18 當山日出夫(とうやまひでお)

今昔物語集(二)

小峯和明(校注).『今昔物語集』(二)新日本古典文学大系.岩波書店.1999
https://www.iwanami.co.jp/book/b259642.html

続きである。
やまもも書斎記 2019年3月16日
『今昔物語集』(一)新日本古典文学大系
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/03/16/9047787

第二冊目には、巻六~巻十(巻八欠)を収める。「震旦」つまり今のことばでいえば、中国の話しをあつめてある。『今昔物語集』のことばについて、その前半部、巻一~五(天竺)、巻六~十(震旦)の部分と、後半部、本朝については、ことばが異なるというのは、国語学、国語史として常識的なことがらだろう。

が、これがあきらかなものとなったのは、特に、古い古典大系の校注の仕事を通じてであったということも、忘れてはならないことでもある。そして、『今昔物語集』を読む面白さは、それにおさめられた説話の数々を読むことの面白さもあると同時に、その校注を読んでいくことの知的な面白さにある、と言っても過言ではないと私は思う。この意味で、古い古典大系の『今昔物語集』は、昭和戦後の古典の校訂、校注、国語学的研究のなかで、群を抜いている。

この第二冊目、中国の話しをあつめてある。それも、仏教説話というべきものが多い。そのせいか、読んでみて、話しとして面白いと感じるものはそう多くないというのが、一般的な理解かもしれない。だが、『今昔物語集』という作品全体を理解するためには、なぜ、「震旦」という部分があるのか、その当時の「作者」の、歴史・地理についての理解がどんなであったか、そこのところへの想像力が必要になってくる。「震旦」の部分も、しかるべき理由があって編纂されたものである。

ただ、私個人の興味・関心からして興味深いのは、「長恨歌」の話しがはいっていることである。巻十、第七話。一般に、「長恨歌」は、白楽天の作。白氏文集巻十二におさめられている。今では、その古鈔本「金沢文庫本白氏文集」(鎌倉写)が、影印本で読める。鎌倉の写本であるが、その読み(訓点)は、平安時代にさかのぼって考えることができる。

「長恨歌」は、『源氏物語』などに多大の影響がある。和漢の比較文学においては、最重要の位置をしめる作品のひとつである。

さて、「長恨歌」を論じるとき、純然たる漢籍(中国文学作品)として読む方法がある。また、日本で読まれた訓点資料として見る立場もある。また、『源氏物語』などへの影響を考えて読むこともできる。そして、『今昔物語集』などにおける説話の世界で、この作品を読むこともできる。

これらは、平安時代のおわりごろ、意外と近いところにあったのではないだろうか。だが、今、「長恨歌」を読むとき、中国文学、訓点語学、平安物語文学、説話文学……これらの研究分野の間にさかんに交渉があるということではない。むしろ、研究分野の細分化・専門化にともなって、分断されてしまっている方向にむかっているともいえる。

もう、国語学という分野からは退きたくなって、ただ楽しみとして本を読んでいるのだが、そのような立場にたって読んでみて、はじめて、上述の諸々のジャンルにまたがったものとしての、「長恨歌」とその日本での受容の世界の一端が見えてきたような気がする。

そう思ってみれば、「長恨歌」という作品自身、かなり説話的である。『今昔物語集』に収録されていることを考えて見るならば、平安時代の人びと……王朝貴族や女房などの人びと、さらには『今昔物語集』の周辺に位置するような人びと……にとって、かなり親しみやすい、説話的世界の話しとして読まれていたことを想像することもできようか。

追記 2019-03-21
この続きは、
やまもも書斎記 2019年3月21日
『今昔物語集』(三)新日本古典文学大系
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/03/21/9049698