『今昔物語集』(三)新日本古典文学大系2019-03-21

2019-03-21 當山日出夫(とうやまひでお)

今昔物語集(三)

池上洵一(校注).『今昔物語集』(三)新日本古典文学大系.岩波書店.1993
https://www.iwanami.co.jp/book/b259643.html

続きである。
やまもも書斎記 2019年3月18日
『今昔物語集』(二)新日本古典文学大系
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/03/18/9048584

新日本古典文学大系の『今昔物語集』は、第一巻から順に刊行されてはいない。この第三巻の本朝からの刊行になっている。また、天竺、震旦とも、校注者が異なっている。今日の『今昔物語集』の研究の方向からするならば、これはこれで順当な方針ということになるのだろう。特に、出典・典拠となった先行する文献との比較対象が重要な課題となっている『今昔物語集』の研究の流れとしては、五冊につくるそれぞれの校注を分担するということになる。

だが、そうすると、かつての日本古典文学大系で、山田忠雄先生を中心とした研究者によって、『今昔物語集』全体を、ひとつの作品とみる、そのなかで、天竺・震旦と、本朝において、ことばが異なることを見極めていった、そのようなことができなくなってしまっているという恨みがどうしてもある。

ここは、すでに先行する研究として『今昔物語集』については多くの論考があり、古典大系、古典文学全集などの校注本があることをふまえれば、このような方針になるのは、当然であるともいえよう。

しかし、今、新日本古典文学大系版で、順番に読んで来て感じることは、『今昔物語集』全体を通して、何を読みとろうとするのか……その全体を俯瞰する視点が希薄になってしまっているというのは、どうしようもないことなのかもしれない。

新日本古典文学大系の第三冊目は、本朝の仏法をおさめる。我が国に仏教がつたわってきてからの話しからはじまって、各種の霊験譚が多くおさめられている。ただ、これも、個別にみれば、たまたま、観音菩薩霊験譚になっているが、その内容としては、いわゆる「わらしべ長者」の話しであったりもする。あながちに、仏法に分類されているからといって、仏教についての説話ばかりを集めたということでもない。

今回、新日本古典文学大系版で、順番に読んでみて感じるのは、たとえば「わらしべ長者」の話しへの「作者」の関心であり、それを、観音霊験譚のなかに、なかば強引な印象をかんじるのだが、とにかく収録している、その『今昔』を編集しようという熱意のようなものである。この『今昔』の「作者」は、『今昔』を編集することで、いったい何を目論んでいたのだろうか。天竺・震旦をふくめて考えるのは、やはり、『今昔』の世界のなかで、地理的にも、時間的にも、この世の森羅万象もろもろを、総合して集めてみようという、ある種の執念のようなものを感じざるをえない。

次は、第四冊目である。本朝がつづく。世俗の部分にはいることになる。ある意味で、『今昔』のもっとも面白い巻になる。ここは、楽しみの読書として、ひたすらにテキストを追って読んでいきたいと思う。

追記 2019-03-22
この続きは、
やまもも書斎記 2019年3月22日
『今昔物語集』(四)新日本古典文学大系
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/03/22/9050091