『ひよっこ2』あれこれ2019-03-30

2019-03-30 當山日出夫(とうやまひでお)

NHKで、『ひよっこ2』の放送があった。それを見て思ったことなどまとめて書いてみる。

木曜日まで放送があって、金曜日に文章を書いたので、アップロードは土曜日ということになる。

第一に、やはり、このドラマは、群像劇であること。基本的に、みね子に視点をおきながらも、さまざまな登場人物の、人生のその後を描いている。そして、それが相互にからまりあって、ある時代の、ある地域の出来事でありながら、しかし、その当時の日本のどこにおいてもあったであろう、ひとつの物語世界を構築している。

すずふり亭の人びと、あかね荘の人びと、奥茨城の人びと、時子、三男……など、さまざまな人びとの人生のそれからが描かれていた。それが、まさに、あのドラマから二年後のこととして、さもありなんという設定であった。

第二に、このドラマにおいては、みね子の父親の実の記憶喪失ということが、大きな出来事としてあった。それを、今回の『ひよっこ2』では、記憶が戻らなくてもいい、いや、それを契機にしてこれから新しい人生を築いていこうとしている。記憶喪失になって、記憶が戻らない悲劇を描くこともできるかもしれない。だが、このドラマは、そうはなっていなかった。実は、奥茨城において、新たな人生を描いていた。

以上の二点が、『ひよっこ2』の4回の放送を見て思ったことなどである。

とにかく印象的であったのは、『ひよっこ』の放送があってから、二年後の世界をごく自然に、そして、ハッピーに描いていたことである。これは、脚本が、同じ岡田惠和であったことによる。(多くの場合、朝ドラのスピンオフドラマは、脚本が変わることが多い。)

あの時代、東京オリンピックが終わってしばらくのころのことになる……東京の街を象徴するのは、東京タワーであった。まだ、世の中にある種の希望のようなものを持てた時代である。その明るい時代の様相を、ほがらかに描いてみせてくれたドラマであった。

平成の失われた時代の後、あの時代をふりかえって、なにがしかの郷愁を感じる。これはこれでいいのだろうと思う。もうしばらくすると平成の時代が終わって次の時代になる。そのときになっても、昭和の戦後のある一時期のことを描いたこのドラマのことは、人びとの記憶の中に残ることだろう。

それから、(私にとっては大事なこととして)……みね子は、まだビーフシチューを食べていない。すずふり亭のビーフシチューを食べることが、みね子の念願であったはずである。ということは、この続きがまだあると期待していいのではないだろうか。