『1Q84』BOOK3(後編)村上春樹2019-04-06

2019-04-06 當山日出夫(とうやまひでお)

1Q84(6)

村上春樹.『1Q84』BOOK3(後編)(新潮文庫).新潮社.2012(新潮社.2010)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100164/

続きである、
やまもも書斎記 2019年4月5日
『1Q84』BOOK3(前編)村上春樹
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/04/05/9055671

読み終わった。先に書いたように、村上春樹の小説は、若いころにいくつか手にした記憶があるのだが、それほど熱心な読者になるということもなく、今まで来てしまった。平成が終わるときにあたって、村上春樹を読んでおきたくなって読んだ。

『1Q84』の全編を読んで感じることは、次の二点だろうか。

第一には、やはりこれは、パラレルワールドの話しであったということ。読みながら、何となくそんな予感があったのだが、結末のところにいたって、別の世界に移動することになる。そして、その世界の入り口は、例の首都高である。

第二には、この作品にどことなくただよっている詩情である。ストーリーの展開は、ある意味でどうでもいい。この作品が、ふとしたところで描いてみせる、きわめて抒情的なシーン。

『1Q84』は、『猫町』(萩原朔太郎)を意識していると感じさせる。ふとした瞬間に、この世界が反転してネガがポジになるような、あるいは、上下がひっくり返って別の世界にほうりこまれるような、そんな場面が、いくつかある。

この意味……強いていえば、散文詩的要素とでもいえようか……この作品のストーリーの展開は、どうでもいいことのように思える。荒唐無稽であっても、それで十分なのである。リアリズムの作品として読んではいけない。詩情を感じながら読むべき作品である。

以上の二点が、この『1Q84』を読んで感じるところである。

たぶん、これは、平成という時代を代表するにふさわしい作品である。もはやリアリズムの手法では描くことのできない、この世界というもの。まさに、失われた時代というべき平成にふさわしいと感じる。

平成の次の時代、村上春樹はどんな作品を書いていくことになるのだろうか。その前に、これまでの村上春樹作品、まずはその長編を読んでおきたいと思う。次は、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』である。

追記 2019-04-09
この続きは、
やまもも書斎記 2019年4月9日
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』村上春樹
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/04/09/9057420