『いだてん』あれこれ「新世界」2019-04-16

2019-04-16 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん』2019年4月14日、第14回「新世界」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/014/

前回は、
やまもも書斎記 2019年4月2日
『いだてん』あれこれ「復活」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/04/02/9054483

時代は、大正時代になる。四三は、ストックホルムから帰ってくる。

この回からの登場人物で、注目されるのは二階堂トクヨ(寺島しのぶ)である。東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)の先生である。彼女は、なぜ、ストックホルムで負けたのか、強く問いただしていた。

このトクヨの台詞、それから、四三の語っていることなど、そのことばを表面的にうけとるならば、まさにスポーツナショナリズムである。だが、ドラマを見ていてそのような印象はない。そのように考える人びともいたであろうことは理解できるとしても、どこか冷めたような目でみている印象を感じる。

これは一つには、二階堂トクヨにせよ、嘉納治五郎にせよ、この当時の日本のスポーツにかかわった人間たちを、大真面目に描いているせいだろう。えてして、ひとは、大真面目になればなるほど、どこかしら滑稽さをおびてくるものである。

そして、ここにいたっても、四三の熊本方言は抜けていない。高等師範学校を卒業すれば、その将来は教師ということになるだろう。それが、いつまでも熊本方言のままであっていいはずはない。しかし、ドラマでは、四三に熊本方言を語らせている。これは、日本というナショナリズムを相対的な視点から見るものとしての、熊本という地方の視点、リージョナリズム、とでもいえるだろうか。熊本という視点を持ち込むことによって、スポーツと日本の国とが直接結びついてしまうことを回避しているようにも見てとれる。

見ていると、天狗倶楽部ももう終わりのようである。これは、明治という時代だからうまれたものであったとすべきなのであろう。時代が大正にうつり、新しい「国民」の体育ということが現実のものになっていく時代において、明治の有閑階級の遊びとでもいうべきスポーツは、消え去っていくことになる。

ところで、NHKの大河ドラマで、近代を描くことはめずらしい。しかも、大正の時代を描くことは、これまでほとんどなかったかと思う。ちょうど今、日本は、平成の時代が終わって、次の令和の時代をむかえようとしている。その時に、今から一世紀ほど前のこと、大正時代をどう描いてみせるか、これはこれとして楽しみに見ることにしよう。

それから、私には、落語家・志ん生の部分が今一つ面白く感じられない。が、これも、大正という時代から昭和という時代を描くにあたっては、重要な役割をはたすことになるのだろうと思って見ている。

追記 2019-04-23
この続きは、
やまもも書斎記 2019年4月23日
『いだてん』あれこれ「あゝ結婚」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/04/23/9063288