『国境の南、太陽の西』村上春樹2019-04-18

2019-04-18 當山日出夫(とうやまひでお)

国境の南、太陽の西

村上春樹.『国境の南、太陽の西』(講談社文庫).講談社.1995 (講談社.1992)
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000197175

『スプートニクの恋人』につづけて読んだ。

やまもも書斎記 2019年4月15日
『スプートニクの恋人』村上春樹
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/04/15/9059902

読後感をひとことで言えば……雨とジャズの似合う小説、とでもなるだろうか。そして、雨とジャズには、孤独がよりそっている。

特に波瀾万丈のストーリーがあるというのではない。ごく普通の人生をおくっている主人公。その子どものときのころから、成長して、何人かの女性とめぐりあい、やがて、ジャズ・クラブを経営するようになる。そこにあらわれる、幼なじみの女性。再会と別離。

この小説を読みながら感じるのは、他の村上春樹作品と同様に、日常生活が反転したところにある逆像の深淵とでもいうべき感覚だろうか。いま生きている日常は、ひょっとすると架空のものなのかもしれないという不安がよぎる。ふと別の世界に反転してしまったのではないかというような、奇妙な感覚。

これまで、『1Q84』から、概ねさかのぼるかたちで村上春樹作品の長編を読んできて、この作品には、特に「孤独」を感じる。現代的で、どことなく抒情的であり、また、乾いた感じのする「孤独」である。

この作品が書かれたのは、1992年。東西冷戦の終わりのころである。そのころの世相はどんなだったろうか、と思い起こしてみる。作中、70年安保のことがすこしだけでてくる。それも、主人公の関心をひかなかった、当時の時代の一コマとしてである。この小説は、きわめて非政治的である。

読みながら、ふと主人公の気持ちに共感して、作品世界の中にはいっていく感じがする。日常の生活の裏側にある、ふとした不安のようなもの、それは、主人公の「孤独」な感情と言っていいだろうか。また、再会することになった相手の女性も、なにがしかの「孤独」をかかえて生きているように読める。

現代社会の孤独感を、雨とジャズを背景に、抒情的に描いた作品であると読んだのであるが、どうであろうか。

追記 2019-04-19
この続きは、
やまもも書斎記 2019年4月19日
『ねじまき鳥クロニクル』(第1部)村上春樹
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/04/19/9061574