『いだてん』あれこれ「あゝ結婚」2019-04-23

2019-04-23 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん』2019年4月21日、第15回「あゝ結婚」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/015/

前回は、
やまもも書斎記 2019年4月16日
『いだてん』あれこれ「新世界」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/04/16/9060306

たかがオリンピックごとき……と言ってのけたのは、大竹しのぶであった。

故郷に帰った四三は、スヤと結婚することになる。しかし、四年後のベルリン……だが、歴史的には、そのオリンピックは第一次世界大戦のために開かれないことになるはずだが……この大会への出場をめざして、練習にはげむ。結婚早々、東京にもどってしまう。

この四三の行動について、理解のあるような、ないような、やはりないような、実に微妙な雰囲気を、大竹しのぶがうまく演じていたように思える。地方の旧家にとってみれば、その家の跡継ぎのことの方が、オリンピックより重要ということであろう。だが、それを振り切って東京にもどることになる四三を、妻のスヤは容認している。結果的には、その後の、四三の活動は、故郷の家とその資産があってのことになるのかもしれない。

東京にもどり、高等師範学校を卒業することになる四三は、教師になることを拒否する。ここで、ひともんちゃくあるのだが、その結果、嘉納治五郎の言ったことばが意味深い。プロフェッショナルになるのだ、と言っていた。

元来、オリンピックは、アマチュアリズムが基本であった。特に、後の1964年、東京オリンピックの時には、アマチュアリズムの精神が高らかに語られていたように記憶している。それが、今はどうであろうか、スポーツにおけるプロというのが、普通の存在になってきた。プロの競技者、あるいは、プロスポーツの選手がオリンピックに出場することが当然の時代になってきている。

このような昨今の流れを見るとき、嘉納治五郎の言った「プロフェッショナル」は、今日のオリンピックのあり方への痛烈な皮肉にもとれる。スポーツをささえる社会的、経済的、政治的基盤はいったい何であるのか、これから、このドラマは描いていくことになるのだろう。

この週においても、四三は、大真面目である。四年後のベルリンをめざして、夏の炎天下で大真面目に練習に励んでいる。だが、大真面目になればなるほど、はたから見れば滑稽でもある。四三の熊本の故郷への意識、それから、競技にとりくむ大真面目な様子、これが、ナショナリズムへと傾きかねないオリンピックというものを、かろやかに描くことにつながっていると感じる。

次回は、大正時代、そして、第一次世界大戦の前夜ということになるのだろう。オリンピックと国際的な政治状況、これをどう描くか楽しみに見ることにしよう。

ところで、志ん生は浜松でなんとかやっているようだ。この志ん生も、これから、どのようにして落語の世界で生きていくことになるのか、ここも見どころになるのかと思う。

追記 2019-04-30
この続きは、
やまもも書斎記 2019年4月30日
『いだてん』あれこれ「ベルリンの壁」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/04/30/9066216

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