『いだてん』あれこれ「恋の片道切符」2019-05-28

2019-05-28 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん~東京オリムピック噺~』2019年5月26日、第20回「恋の片道切符」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/020/

前回は、
やまもも書斎記 2019年5月21日
『いだてん』あれこれ「箱根駅伝」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/05/21/9075115

オリンピックには、ナショナリズムがつきものである。それをこのドラマでは、リージョナリズム(地方主義)で、吹き飛ばして見せている、少なくとも、そのように作っていることは理解できる。

アントワープでのオリンピックの報告会において、四三をかばって叫んだのは、妻のスヤであった。熊本方言である。このスヤのことばが、惨敗に終わったといってよい日本の選手団に、活力を与えていたとみることができようか。ここが、標準的な日本語で語ったならば、それほどの説得力はなかったろう。あくまでも、熊本に根ざした四三とスヤという立場だからこそ、日本という国のナショナリズムを相対化できる。(ただ、私は、ナショナリズムそのものを悪いと思っているのではないが。)

二度目のオリンピック参加……前回のベルリンは中止になってしまっていた……において、日本は、テニスでメダルを獲得する。しかし、ここのところは、そんなには印象深く描いていなかった。いまだったら、オリンピックでテニスでメダルを取ったとなると、大騒ぎになるところである。これは、今から振り返って見れば、オリンピック史上における日本の快挙と言っていいことである。日本で最初のオリンピックにおけるメダルである。だが、このドラマでは、そこを描かない。

このドラマ、基本は、陸上競技、それから、これから登場するであろう水泳、という競技を軸に描くことになるのだろうと思ってみている。その水泳も、浜松の選手たちは、その浜松の方言で話している。水泳においても、浜松というリージョナリズムを守ろうとしているようである。

オリンピックにおける、ナショナリズム、また、メダル獲得至上主義とでもいうべきところを、軽く流していることは分かるのだが、ここは、あえて素直に、ナショナリズムを肯定的に描くこともできるだろう。だが、この脚本は、そうはしないようだ。

このあたり、これから登場するであろう、人見絹枝とか前畑秀子のことをどう描くことになるのか、楽しみにみることにしよう。

追記 2019-06-04
この続きは、
やまもも書斎記 2019年6月4日
『いだてん』あれこれ「櫻の園」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/06/04/9080773