『いだてん』あれこれ「明日なき暴走」2019-07-09

2019-07-09 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん』2019年7月7日、第26回「明日なき暴走」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/026/

前回は、
やまもも書斎記 2019年7月2日
『いだてん』あれこれ「時代は変る』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/07/02/9110454

この回は、人見絹枝を描いていた。

見ていて思ったことなど書けば、次の二点になるだろうか。

第一に、やはり人見絹枝である。

オリンピックに出場するということだけで、国家を背負っているというプレッシャーがある。それに加えて、女性である。女性として初めて出場することになる。その意味で、二重のプレッシャーのなかに人見絹枝がいたことになる。

ドラマでは、この人見絹枝を、鮮やかに描いていたと思う。その当時、人見絹枝という人は、社会から、そう高く評価されることはなかったようだ。いや、むしろ、女だてらに、ということで批難の目で見られていたといっていいかもしれない。だが、それをも跳ね返す、女子スポーツの黎明を切り拓いた人間として、魅力的に描いていたように思う。

今でこそ、女子スポーツというのは、社会的に認められている。だが、それも、人見絹枝のような先駆者の苦労があってのことである。その生涯は短いものであったのだが、充実したものとしてあった……少なくとも、ドラマではそのように描いていた。

第二に、オリンピックと政治である。

ドラマの冒頭で、田畑政治と高橋是清との会話が印象的であった。スポーツと政治は無縁であるべきなのか、政治はスポーツを利用するべきなのであるか。その答えは、今にいたるまで出ていないといっていいかもしれない。

だが、その後のオリンピックの歴史のなかで、ベルリンの「民族の祭典」は、スポーツを政治のプロパガンダとして利用した典型ということになる。そのなかに、前畑秀子もいたことになる。

以上の二点が、見ていた思ったことなどである。

さらに付け加えるならば、スポーツと政治、参加すること意義、メダル獲得至上主義……これら、オリンピックをめぐる問題について、風刺のきいたドラマになっていると思う。近代におけるスポーツの存在とは何か、問いかけるところがあると感じる。

また、どうでもいいことかもしれないが……シベリアが大河ドラマに登場したのははじめてかもしれない。それをおいしそうにたべる人見絹枝が、印象に残っている。

次回は、いよいよ前畑秀子の本格的な登場ということになるようだ。楽しみに見ることにしよう。

追記 2019-07-16
この続きは、
やまもも書斎記 2019年7月16日
『いだてん』あれこれ「替り目」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/07/16/9129176