『さよなら、愛しい人』村上春樹訳2019-07-13

2019年7月13日 當山日出夫(とうやまひでお)

さよなら、愛しい人

レイモンド・チャンドラー.村上春樹(訳).『さよなら、愛しい人』(ハヤカワ・ミステリ文庫).2011 (早川書房.2009)
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/40712.html

続きである。
やまもも書斎記 2019年7月5日
『ロング・グッドバイ』村上春樹訳
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/07/05/9111495

やまもも書斎記 2019年7月11日
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/07/11/9127150

村上春樹の翻訳作品を読もうと思って、『ロング・グッドバイ』、『グレート・ギャツビー』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、と読んで、再びチャンドラーにもどって、『さよなら、愛しい人』を読んでみることにした。村上春樹の翻訳は、中央公論新社で多く出ていることは承知しているのだが、ここは、生来のミステリ好きということで、チャンドラーを読んでおきたくなった。

チャンドラーの作品は、若いときにひととおり読んだかと思う。この『さよなら、愛しい人』は、昔のタイトルでいえば『さらば愛しき女よ』である。

私個人の読書歴としては、日本の原寮にかたむいていったということがある。いうまでもないことだが原寮は、日本におけるハードボイルドの代表。チャンドラーに多大の影響をうけていることは、自らも認めていることである。

『ロング・グッドバイ』を読んだ目で思うことは、次の二点だろうか。

第一に、ミステリ、あるいは、エンタテイメントの作品としては、むしろ、この『さらば、愛しい人』の方がすぐれている。あまり本筋とはなれて余計なところに筆が及んでいない。謎の医師とか、霊能者とか、賭博船とか、これらの箇所は作品の本筋にからまりながらこの作品においては、エンタテイメントの要素となっている。(逆に、本筋が何かわからないように、余計なところに微細に入り込んでいくところに『ロング・グッドバイ』の良さがあるのだが。)

第二に、文学的印象としては、『ロング・グッドバイ』の方がいい。これは、なによりも、レノックスという人物の存在にある。その「友情」といっていいのだろうか、「私」とレノックスのつきあい、その微妙な人間としての関係が、『ロング・グッドバイ』に文学的深みを与えている。このようなところが、この『さらば、愛しい人』では希薄である。

以上の二点が、『さらば、愛しい人』を読んで感じるところである。昔、読んでそのストーリーは知ってはいるというものの、やはり、読み返してみて(訳は違うが)、その作品世界のなかにひたっていく楽しみというものを感じる。文学としてのハードボイルドが、ある意味で文学的な普遍性を獲得しているといっていいのかもしれない。

つづけてチャンドラーの作品を読んでいこうと思っている。次は、『大いなる眠り』である。

追記 2019-07-20
この続きは、
やまもも書斎記 2019年7月20日
『大いなる眠り』村上春樹訳
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/07/20/9130968