『いだてん』あれこれ「替り目」2019-07-16

2019-07-16 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん』2019年7月14日、第27回「替り目」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/027/

前回は、
やまもも書斎記 2019年7月9日
『いだてん』あれこれ「明日なき暴走」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/07/09/9124847

この回で金栗四三から、田畑政治へと、主役が移った。

思うことを書いてみる。

第一には、前半において四三を主人公としたことの意味である。四三は三回のオリンピックに出場したのだが、メダルをとったということはない。このドラマを構想するにあたって、四三を前半の主人公にもってきた意味が、ようやくあきらかになったということだろうか。

田畑政治が語っていた……日本人で最初にオリンピックに出たのは金栗四三である、と。史実としては、同時に三島も出場したのだが、それは脇役になっている。金栗四三が、最初のオリンピック選手である。それは、陸上という競技を描くことにおいて、また、人見絹枝の活躍につながるものとして、四三の存在が大きい。また、四三は、あくまでも熊本の人間として描かれていた。ドラマから退場して、四三の帰っていくさきは、熊本である。熊本のリージョナリズムでもって、オリンピックのナショナリズムを相対化する、その視点を確保することに意義があったと見るべきだろう。

第二には、オリンピックと商業主義である。今日のオリンピックは、あまりに商業的である。それに対する批判はあるとしても、そのようにしか現在のオリンピックはありえない。そのオリンピックの商業主義、メダル獲得至上主義、このようなものの萌芽を、ロサンゼルス大会への参加を軸に描いていた。それも、ドタバタ(スラップスティック)で。

スラップスティックで描くことによって、シリアスなナショナリズムを相対化して見ることにつながっている、と感じる。そのドタバタを、田畑政治(阿部サダヲ)が軽やかに演じている。

以上の二点が、この回を見て思うことであろうか。

それから、志ん生の部分が、だんだんとよくなってきている。うらぶれた、というよりも、無頼のというべきか、若いときの志ん生の生活が、哀愁をこめて描写されているように感じる。この志ん生の部分を、今度、どのように現在のビートたけしにつなげていくか、このあたりが見どころになるかと思う。

次週以降、いよいよ昭和の時代を描くことになるようだ。幻におわった昭和15年のオリンピック、そして、その前のベルリンの「民族の祭典」、このあたりがどうなるか楽しみに見ることにしよう。

追記 2019-07-30
この続きは、
やまもも書斎記 2019年7月30日
『いだてん』あれこれ「走れ大地を」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/07/30/9135073