『なつぞら』あれこれ「なつよ、恋の季節が来た」2019-07-21

2019-07-21 當山日出夫(とうやまひでお)

『なつぞら』第16週「なつよ、恋の季節が来た」
https://www.nhk.or.jp/natsuzora/story/16/

前回は、
やまもも書斎記 2019年7月14日
『なつぞら』あれこれ「なつよ、ワクワクが止まらない」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/07/14/9128322

この週で描いていたのは、主に次の二つだろうか。

第一に、短篇アニメーションの制作。

なつは、短篇のアニメーション『ヘンゼルとグレーテル』の制作にたずさわることになる。そこで、アニメーションとして、何が表現可能か、その可能性を追求することになる。ここは、かなり大胆に原作の話を改めて作るようであったが。

この短篇アニメーションの制作が、次のステップへとつながっていくのだろう。また、この作品の制作、完成をきっかけとして、マコさんが、仕事から引退して結婚することになる。イタリアに行くとのことである。おそらく、次の展開としては、なつがアニメーション制作の責任者として仕事をすることになるのだろう。そして、そこには、イッキュウさんも、ともに仕事をすることになる。

第二に、夕見子のこと。

時代は、昭和三〇年代のはじめ。別の観点からみれば、六〇年安保のときである。しかし、このドラマは、そのような政治的なことは基本的に描かない方針のようだ。

しかし、その当時に若者……特に、大学生……の反抗心のようなものは描いていた。北海道大学に通っていたはずの夕見子が、駆け落ちして東京に出てくる。相手は、同じ大学生である。ジャズの評論を目指しているという。

この時代、ジャズは、確かに、既成の価値観への反逆、カウンターカルチャーのシンボルであったと見るべきかもしれない。だが、そのささやかな反抗も、故郷から出てきた泰樹じいさんによって、うちくだかれてしまう。新時代の都市的な若者文化と、地方の家族の世界、この対立と理解できなくもない。が、ここのところに、このドラマは深く入り込むことをしていない。これはこれとして、一つのドラマの作り方だろうと思う。

以上の二つのことが、この週で描いていたことだろうか。

次週、アニメーションは、テレビの時代をむかえるようだ。テレビの草創期、その時代のアニメーションをどう描いて見せるか、楽しみに見ることにしよう。

追記 2019-07-28
この続きは、
やまもも書斎記 2019年7月28日
『なつぞら』あれこれ「なつよ、テレビ漫画の幕開けだ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/07/28/9134214