「大和路」堀辰雄 ― 2019-08-03
2019-08-03 當山日出夫(とうやまひでお)
堀辰雄.「大和路」(「大和路・信濃路」.新潮文庫).新潮社.1955(2004.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100406/
続きである。
やまもも書斎記 2019年7月26日
『美しい村』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/07/26/9133436
新潮文庫で今読める堀辰雄の作品というと、『大和路・信濃路』、それから、『風立ちぬ・美しい村』、この二冊だけである。『大和路・信濃路』を手にしてみた。いくつかの短い文章をまとめたものになっているが、ここでは、「大和路」としたまとめられたものについて書いてみる。
「大和路」は、一九四一年(昭和一六年)の日付のある文章からはじまっている。戦前、知識人にとって、古京である奈良の地をめぐるのは、一種の流行のようなところがあったのかもしれない。
やまもも書斎記 2018年8月18日
『初版 古寺巡礼』和辻哲郎
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/08/18/8944613
やまもも書斎記 2018年8月20日
『大和古寺風物誌』亀井勝一郎
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/08/20/8946045
読んで感じるところは、次の二点である。
第一には、大きな系譜としては、昭和になってからの、知識人たちの奈良旅行記として位置づけることも可能だろう。法隆寺や西ノ京あたりの古びたたたずまいが、非常に魅力的にうつったことが理解される。
だが、これも、今となっては昔のことである。今の法隆寺あたりは、宅地開発がすすみ、また、近年では外国人観光客が増えている……往時のような、古さびた雰囲気など、もうもとめようがないと言っていいだろう。今からふりかえってみて、このように奈良の風物が愛された時代がかつてあった、そのことの証言として読んでもいいかもしれない。
第二には、上記のことと関連してであるが、近代の知識人にとっての古代日本のイメージである。堀辰雄の文章を読むと、折口信夫への言及がある。そう思ってみるならば、確かに折口信夫は、堀辰雄と同じ時代を生きていたことになる。
そして、『万葉集』などへの思い。これは、現代の視点から見るならば、近代になってからの万葉学、古代学……強いて言うならば、近代になってからの古代の発見、と言っていいことになる。
以上のような二点を感じる。
無論、これは堀辰雄の文章である。読みながら、和辻哲郎でもない、亀井勝一郎でもない、近代の文学者としての詩情を感じる。比べるならば、和辻哲郎はあまりに理知的であり(と同時に情熱的である)、亀井勝一郎は浪漫的である。そうではなく、近代の西欧の文学にうらうちされた、透徹した知的な詩情とでもいうべきものを感じる。
続けて「信濃路」を読んでみることにしたい。
https://www.shinchosha.co.jp/book/100406/
続きである。
やまもも書斎記 2019年7月26日
『美しい村』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/07/26/9133436
新潮文庫で今読める堀辰雄の作品というと、『大和路・信濃路』、それから、『風立ちぬ・美しい村』、この二冊だけである。『大和路・信濃路』を手にしてみた。いくつかの短い文章をまとめたものになっているが、ここでは、「大和路」としたまとめられたものについて書いてみる。
「大和路」は、一九四一年(昭和一六年)の日付のある文章からはじまっている。戦前、知識人にとって、古京である奈良の地をめぐるのは、一種の流行のようなところがあったのかもしれない。
やまもも書斎記 2018年8月18日
『初版 古寺巡礼』和辻哲郎
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/08/18/8944613
やまもも書斎記 2018年8月20日
『大和古寺風物誌』亀井勝一郎
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/08/20/8946045
読んで感じるところは、次の二点である。
第一には、大きな系譜としては、昭和になってからの、知識人たちの奈良旅行記として位置づけることも可能だろう。法隆寺や西ノ京あたりの古びたたたずまいが、非常に魅力的にうつったことが理解される。
だが、これも、今となっては昔のことである。今の法隆寺あたりは、宅地開発がすすみ、また、近年では外国人観光客が増えている……往時のような、古さびた雰囲気など、もうもとめようがないと言っていいだろう。今からふりかえってみて、このように奈良の風物が愛された時代がかつてあった、そのことの証言として読んでもいいかもしれない。
第二には、上記のことと関連してであるが、近代の知識人にとっての古代日本のイメージである。堀辰雄の文章を読むと、折口信夫への言及がある。そう思ってみるならば、確かに折口信夫は、堀辰雄と同じ時代を生きていたことになる。
そして、『万葉集』などへの思い。これは、現代の視点から見るならば、近代になってからの万葉学、古代学……強いて言うならば、近代になってからの古代の発見、と言っていいことになる。
以上のような二点を感じる。
無論、これは堀辰雄の文章である。読みながら、和辻哲郎でもない、亀井勝一郎でもない、近代の文学者としての詩情を感じる。比べるならば、和辻哲郎はあまりに理知的であり(と同時に情熱的である)、亀井勝一郎は浪漫的である。そうではなく、近代の西欧の文学にうらうちされた、透徹した知的な詩情とでもいうべきものを感じる。
続けて「信濃路」を読んでみることにしたい。
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