『いだてん』あれこれ「独裁者」2019-08-27

2019-08-27 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん~東京オリムピック噺~』2019年8月25日、第32回「独裁者」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/032/

前回は、
やまもも書斎記 2019年8月20日
『いだてん』あれこれ「トップ・オブ・ザ・ワールド」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/08/20/9143215

この回も見どころはいくつかあったと思うが、二つばかりあげてみることにする。

第一には、金メダルである。

ロサンゼルスで銀メダルに終わった前畑秀子に対して、どうして金メダルを取ってこなかったのかと難詰したのは、東京市長の永田だった。このいかにもあからさまな物言いが、どことなく、現代のオリンピックにおけるメダル至上主義を揶揄しているようでもあった。たしかに金メダルを取ることはすばらしいことかもしれないが、しかし、オリンピックの意義は、それに参加することにある、この理念がこのドラマでは、通奏低音のようにながれていると感じる。

第二には、国際情勢とオリンピックである。

一九四〇年(昭和一五年、紀元二六〇〇年)の東京オリンピックの開催は、どうもあやういらしい。次はベルリンであるが、ヒトラーは、これを国威発揚のためにうまくつかうことになる。それに続いて、ムッソリーニも、ローマでのオリンピックに積極的である。一方、日本はといえば、満州事変の余波で国際連盟脱退ということになっている。世界のなかで孤立しつつある。このような状況において、起死回生の奇策を考えることになる。

だが、その東京オリンピックも、結局は開かれることなくおわることは、わかっているのだが……しかし、オリンピックというものが、その時々の国際政治の流れのなかに翻弄されてきた経緯ということは、確かなことであろう。

以上の二点が、この回の見どころかと思って見ていた。

しかしである……後の一九六四年の東京オリンピックといい、来年の二〇二〇年の東京オリンピックといい、その開催には、政治的背景があることは確かなことであろう。ロサンゼルスでの開催(二回目)でもそうだったし、モスクワでもそうだった。この意味では、現代のわれわれの時代にいたるまで、「民族の祭典」の影響があるということなのかもしれない。少なくとも、オリンピックが政治的に利用されるものであるということは、ヒットラーの時代から、一〇〇年以上にわたって引きずっている宿痾のようなものかもしれない。

また、その意味においては、NHKが『いだてん』のようなドラマを作るということ自体が、すでに、過去のヒトラーのなしたことの延長線上にあるともいえると思うが、どうであろうか。

次回は、東京オリンピック招致をめぐる展開になるようだ。どのように描くことになるのか、楽しみに見ることにしよう。

追記 2019-09-03
この続きは、
やまもも書斎記 2019年9月3日
『いだてん』あれこれ「仁義なき戦い」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/09/03/9148788

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