『最後の瞬間のすごく大きな変化』グレイス・ペイリー/村上春樹訳2019-09-21

2019-09-21 當山日出夫(とうやまひでお)

最後の瞬間のすごく大きな変化

グレイス・ペイリー.村上春樹(訳).『最後の瞬間のすごく大きな変化』(文春文庫).文藝春秋.2005 (文藝春秋.1999)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163184906

つづきである。

やまもも書斎記 2019年9月20日
『村上朝日堂の逆襲』村上春樹・安西水丸
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/09/20/9155648

やまもも書斎記 2019年9月18日
『人生のちょっとした煩い』グレイス・ペイリー/村上春樹訳
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/09/18/9154935

グレイス・ペイリーの作品集としては、原著としては、こちらが二番目になる。だが、翻訳としては、これの方が先に出ている。私としては、原著の刊行の順に読んでいることになる。

読んで感じることであるが……これは、抵抗の文学であると、思う。

時代としては、太平洋戦争後のアメリカ、それもニューヨーク。そこに住む、ユダヤ系の人びと。特に、フェイスという女性は、作者自身の投影でもあろうかと感じさせる。

今のことばでいえば、政治的な正しさ、ポリティカル・コレクトネス(PC)……ベトナム戦争への反対であったり、フェミニズムであったり、公民権運動であったり……このような、二〇世紀後半のアメリカ社会におこった動きについて、より根源的なところから、問いかけ、見つめ、掘り下げている、このように私には読める。これは、今になってふりかえってみれば、二〇世紀後半のアメリカ社会、また、ニューヨークのユダヤ系の人びと、この日常的な生活感覚のなかから、社会と歴史を見つめている。結果的に、今の価値観でいうところのPCをささえるものとして読むことができる。

この小説のそこにあるものは、日常の感覚であると思う。それが、女性の視点、ニューヨークの人びと(それも、どちらかといえば、中下流の階層)、そして、ユダヤ人であること……このような複合的な視点から、アメリカ社会というものを見ている。大上段にふりかぶって天下国家を論じるということはない。あくまでも、登場人物の生活感覚から離れることがない。

先にも書いたとおり、もし、村上春樹がこの作家を訳していなかったら、そして、私が、村上春樹の訳した文学を読んでみようと思い立つことがなかったなら、この本は読まずに終わっていただろうと思う。訳者によって本を選んで読むということもあっていいだろう。

次は、村上春樹のエッセイにかえって、『村上朝日堂 はいほー!』である。

追記 2019-09-26
この続きは、
やまもも書斎記 2019年9月26日
『村上朝日堂 はいほー!』村上春樹
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/09/26/9157898

追記 2019-09-28
この続きは、
やまもも書斎記 2019年9月28日
『その日の後刻に』グレイス・ペイリー/村上春樹(訳)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/09/28/9158550

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/09/21/9155949/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。