『いだてん』あれこれ「最後の晩餐」2019-10-01

2019-10-01 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん~東京オリムピック噺~』第37回「最後の晩餐」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/037/

前回は、
やまもも書斎記 2019年9月24日
『いだてん』あれこれ「前畑がんばれ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/09/24/9157104

いよいよ日中戦争が始まって、東京オリンピックがどうなるかというあたりである。

この回で印象に残っているのは、次の二点だろうか。

第一には、東京オリンピックの招致。

日中戦争の時代、オリンピックどころではないと、それを否定する雰囲気がわきおこる。田畑政治も例外ではない。戦争をしながら、平和のスポーツの祭典であるオリンピックを開催するのは、矛盾している。そのことを一番よくわかっている。だが、どうしても、東京オリンピックを開催したいという思いがある。

いや、田畑政治以上に、東京オリンピックに熱意をかたむけているのが、嘉納治五郎である。なんとかして、東京オリンピックにもっていきたいと念願している。

第二には、その嘉納治五郎のこと。

IOC総会での、嘉納治五郎はスピーチする。自分、嘉納治五郎を信じてくれ。「Believe me.」と懇願する。そのせいもあってか、東京オリンピックの開催ということになる。

だが、その嘉納治五郎は、IOC総会からの帰途の途上で、船のうえで客死することになる。思えば、嘉納治五郎は、このドラマの最初から登場してきている。近代日本のオリンピックは、まさに嘉納治五郎とともにあったと言っていいのかもしれない。嘉納治五郎がいたからこそ、一九四〇年(昭和一五年)の東京オリンピックは開催となった。(しかし、その後の推移としては、開催されないことになるのだが。)

もし、嘉納治五郎があそこで死ななければ、東京オリンピックは開催になっていたかもしれない。であるならば、それはその後の国際情勢に、なかんずく太平洋戦争に、なにがしか影響を与えたのかもしれない……などと思ってみる。

以上の二点が、この回を見て思ったことなどである。

また、ここまでを見てきた印象としては、どうしても来年の二〇二〇年の東京オリンピックに対する批判的まなざしを感じる。オリンピックを開催して、世界に見せたい日本とは、いったいどんなものなのか。ここのところを根源的に問いかけるところが、このドラマにはあるように感じる。

次回以降、東京オリンピックの開催と戦争をめぐる展開になるようだ。これも楽しみに見ることにしよう。

追記 2019-10-08
この続きは、
やまもも書斎記 2019年10月8日
『いだてん』あれこれ「長いお別れ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/10/08/9162470